1ページ目から読む
5/6ページ目

 2面には毎日同様、「死屍累々(ししるいるい)=死体が折り重なっている状態=!! 凄惨を極める七重浜」の説明が付いた遺体の写真も。事故と同じ9月26日夜には、北海道岩内郡岩内町で大火があり、道新号外は同じ紙面で「三千世帯を焼き尽くす 被災者実に一万五千人 原因は避難後の残り火から」という記事を掲載している。 

1400名超の死者・行方不明

 9月27日付夕刊段階になって、事故の全貌がほぼ明らかになり、各紙とも全面展開の紙面に。「函館港の惨状・五連絡船が沈没 死体八百余を収容」「洞爺丸救助百六十三 残り九百余名は絶望視」(朝日)、「空前の大惨事・洞爺丸沈没 死体収容四百四十二」(毎日)、「空前の大惨状 洞爺丸転覆 千四百名越す 死者・行方不明」(読売)といった見出し。

吉住恭一・画「運命の函館出港」(「青函連絡船洞爺丸転覆の謎」より)

 道新は「死体発見に懸命の努力 死体四七二確認 海難史上稀有の被害」だった。各紙とも転覆して「赤腹出した洞爺」(読売見出し)の写真を掲載。乗客の中に北海道遊説中だった右派社会党(この時期、社会党は左右に分かれていた)の菊川忠雄・衆院議員ら3人の国会議員も含まれていたことが分かった。

ADVERTISEMENT

 また、この段階で各紙は事故の原因について記事にしている。朝日は「原因は? 関係方面の見解」「災害は不可抗力 運航の措置は万全 国鉄当局」として「船体設計上、あるいは運航上過失があったかどうかは、最終的には海難審判庁で判断を下すわけだが、目下のところ、国鉄当局では設計上の欠陥を認めておらず、運航上も万全の措置をとったものとし、災害は不可抗力であったとする見方が強い」とした。ここで国鉄側が転覆に至る経過と原因とした内容は次のようだった。

1.50~55メートルの突風によって船体が35~40度傾き

2.船尾から大波が押し寄せ、貨車甲板、機関室などの開口部から浸水

3.発電機が機能を失って消灯。通信不能に陥り、エンジンも動かなくなった

4.貨車を縛り付けている締め具が切れ、貨車が転覆、船体が横転した

転覆した洞爺丸と船体図(「洞爺丸遭難追悼集」より)

 客貨車を載せたまま海上を運航する連絡船は特殊な貨車甲板を持つため、風波には細心の注意を払う。風が強いと欠航や出港を遅らせるなどの措置を取ってきた。今回も出港を遅らせ、台風予報を聞いて岸壁を離れたが、強風のため、エンジンを全開しても船首を風上に向けることができず、船尾へまともに突風を食らったと推定される。