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 百貨店が集まって賑わいの中心だったエリアを歩いても、そんな時代の面影はまったく失われている。京成百貨店をはじめ、すべての百貨店は土浦から消えた。京成百貨店の跡地は更地になっていまは駐車場。その周囲も、クルマが無言で行き交うばかり。歩く人の姿は数えるほどだ。

 土浦の町が大きく変わったきっかけは、やはりつくば万博であった。つくば万博前後から、筑波研究学園都市の開発が急速に進む。すると、茨城県南の人口比重が一気につくば市方面へと移っていった。

 あげくに2005年にはつくばエクスプレスが開業すると、“陸の孤島”というつくばの唯一の弱点が解消され、むしろ東京へのアクセスにおいては土浦を上回る事態になった。人の流れは大きく変わり、土浦は周囲の人々が集まる都市としては存在感を低下させていったのである。そういう意味で、土浦の商都としての役割はほとんど終わったといっていい。

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お城、港、軍都に高層マンション…「土浦」の町に刻まれたもの

 しかし、土浦の町を歩いても、必ずしも衰退する一方の町という印象は抱かない。

 かつて繁華街だった旧祇園町こそ百貨店が駐車場に変わってしまっているが、駅周辺をはじめ賑やかなところは多い。例の歓楽街はいまも健在だし、旧水戸街道沿いなどは昔ながらの宿場町の町並みが残されていて観光地としての魅力もありそうだ。霞ヶ浦の土浦港には、ヨットやボートがたくさん停泊している。サイクリングを含め、霞ヶ浦レジャーはなかなかの力があるだろう。土浦日大高校が夏の甲子園で活躍したのも記憶に新しい。

 

 それになにより、駅の周りを中心に、マンションが次々と出来ているそうだ。商都としての役割を終えても、ベッドタウンとして、そして観光都市としてならばまだまだポテンシャルは大きい、というわけだ。実現するかどうかはわからないが、つくばエクスプレスが土浦まで延伸する計画もあるという。そうなれば、ますます土浦のベッドタウンとしての価値も増しそうだ。

 土浦には江戸時代からいまに続くまでの日本の歴史が凝縮されているといっていい。お城と宿場町、港町としての面影。街中を流れる川を埋め立てて商業地として花開くも、いまはひとつもなくなった百貨店。軍都だった時代の名残を留める歓楽街。そしていまは駅の周りの高層マンションたち。

 土浦の町を歩くだけで、日本という国がどのように歴史を刻んできたのかが手に取るようにわかるではないか。そう思うと、歴史に揉まれ続けてきた土浦という町が、なんだかとても愛おしく感じられてくるのである。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。