子のひきこもりに悩み、藁にもすがる思いで支援団体に頼る親族は後を絶たない。しかし、そうした中には問題の多い業者も存在する。いったい、「ひきこもり支援」の現場ではどのようなトラブルが起こっているのか。
ここでは、朝日新聞記者の高橋淳氏による『ブラック支援 狙われるひきこもり』(角川新書)の一部を抜粋。支援団体による研修の先で我が子を亡くした家族への取材の様子を紹介する。(全2回の1回目/続きを読む)
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待ち続けた「卒業」
羽田から鹿児島へ向かう飛行機の中で、私はまだ会ったことのない、そしてこれからも会うことのない1人の男性のことを考えていた。
2019年の終わりまであと1カ月と迫った11月26日。同じ機内には、男性の母親で神奈川県に住む渡辺さんと娘のアキさん(仮名)がいた。私の手元には羽田のロビーで渡辺さんから手渡された小さなお菓子の紙袋があった。これから心の重い旅に向かうというのに、渡辺さんはせんべいや最中などのお菓子を自宅で袋に詰め、一緒に出かける弁護士や私など、ひとりひとりに用意してくれていた。
私たちが向かうのは、鹿児島空港から北に車で約1時間半の熊本県湯前町。そこには渡辺さんの長男タカユキさんが入所していた、ひきこもりの人のための「研修施設」があるという。26歳から20年間も自宅でひきこもっていたというタカユキさんはそこに入り、ようやく自立への道を歩み出した、そのはずだった。
「息子さんが亡くなりました」
施設の担当者から渡辺さんが携帯に連絡を受けたのは、この熊本行きの7カ月前の4月19日。渡辺さんはまるで事態を理解できないまま飛行機に飛び乗り、遺体が安置されている熊本県警人吉警察署に駆けつけたという。だが、ここで会った施設の職員の説明はまったく要領を得ないものだった。
何が起きたのかも分からないまま、ただ泣いて過ごす日々
タカユキさんの遺体がみつかったのは、施設に近い同県あさぎり町のアパート。検視を担当した地元の医師の推定では、死後約2週間が経っていた。タカユキさんは別人のようにやせ細り、餓死も疑われた。だが職員らはそれまで数カ月間、タカユキさんがどこで、何をしていたのか何も把握していない様子だったという。
「自立を妨げるので親子で連絡を取ってはいけない」
施設側から何度もそういわれていたという渡辺さんは、息子の声を聞きたい気持ちをぐっと我慢し、施設から「卒業」の連絡がくるのを待ち続けていた。契約書には「社会人として自立した人生を成り立たせるに至る為、全面的に指導及び支援を行う」「終業時も継続的にコミュニケーションを図り、随時適当な指導及び支援を行う」などとある。施設を信じ、タカユキさんが無事にひきこもりを克服し、「元の元気な姿に戻った」といううれしい知らせを待ち続けていたのだという。