10年、さらに10年という時間が流れていく
タカユキさんが会社を辞めて約1年半後、運転免許が失効した。渡辺さんが「更新に行きなさい」と言っても、一向に腰を上げようとしなかったという。
「これはただごとではないかもしれない」
渡辺さんはこのとき初めて、息子にかつてない異変が起きていると思った。
それからは市役所や保健所、病院、子どものひきこもりに悩む家族の会――など、会社員の夫と2人で考えられる限りの場所を訪ねたという。
「どこに行っても話だけはよく聞いてくれるんです。そして決まって言われるのが『信じて、待て』『働きなさいと言ってはいけない』。結局、ただ静観する以外にどうしたらいいのか、誰も何も教えてくれませんでしたね」
そして10年、さらに10年という時間が流れていった。
とはいえ家から外に出られず、定職がないということ以外は、タカユキさんは昔とそれほど変わらなかったという。プロ野球の阪神ファンで、シーズン中は部屋のテレビで野球中継を観るのを楽しみにしていた。夏の夜、2階から応援用のメガフォンをポンポンとたたく音が聞こえていたのを、渡辺さんはいまも思い出す。
「あけぼのばし自立研修センター」に行ってみる
そんな中、夫は2016年、息子の将来を心配しながら他界した。
「もし私までいなくなったらタカユキはどう暮らしていけばいいのか。とにかく、いまのうちになんとかしなければと思いました」
タカユキさんの健康についても心配事があった。このころ、タカユキさんの話し方がおかしくなっているのに気づき、前歯が抜けているらしいことが分かったという。渡辺さんと話すときに不自然に後ろを向いたり、手で口を隠したりするしぐさをみせるようになっていた。
渡辺さんの不安は募った。そんなある日、結婚して家を出ていた娘のアキさんがインターネットで見つけてきたのが、ひきこもりを支援する専門業者の「あけぼのばし自立研修センター」だった。
「一度、説明だけでも聞いてみようか」
17年1月。母と娘の2人は、都営新宿線曙橋駅に近い雑居ビルの5階にあるあけぼのばし自立研修センターに赴いた。
まず待合室に通され、パンフレットを手渡されたという。すべてカラーで20ページもある立派なものだった。
「自立のプロにお任せください」
「就職後も毎日報告を受け、面談を繰り返し(中略)フォローを続けます」
ページをめくると頼もしい文句がいくつも並んでいた。その後、スーツ姿の若い男性が部屋に入ってきて、名刺を渡された。後に、スタッフの取りまとめ役らしいと分かるK氏だ。
2人はここで施設を紹介するビデオを観た。