途上国では、どれだけの女性が出産時に死亡しているのだろうか。図表12を見てもらえれば、日本との差が一目瞭然だろう。

(『世界と比べてわかる 日本の貧困のリアル』より抜粋)

 留意してもらいたいのは、これはあくまで上流階級も中流階級も合わせた国全体の数値という点だ。スラムや路上に暮らす人だけに限れば、この数字は一層高まるのは間違いない。そう考えると、妊産婦が出産に際してどれだけ危険な状況に置かれているかが察せられる。

 こうした国では、女性が無事に赤ちゃんを産める身体を持っているということが「魅力」となりうる。男性にとってその目安の1つがお尻の大きさなのだ。お尻が大きければ、骨盤もしっかりしていて安全に子供を産みやすいはずだと考えるのである。

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 ところで、なぜ彼らはそこまで子供にこだわるのか。それは先に少し見たように、子供の数が将来的な自分のセーフティーネットとなるからだ。

 こうした男性たちの大きな願望が裏目に出ることもある。子供ができなかった場合、その責任が女性に押しつけられかねないのだ。

 次は私の知っている例である。

インドの不妊症カップル

 ビハール州の農村に、ある夫婦が暮らしていた。農村では、多くの家族が10人近く子供を作っていた。畑仕事を手伝う労働力として、あるいは将来畑を引き継いで家族の世話をする者として、子供は多ければ多いほどいいとされていたのだ。

 だが、その夫婦の間には何年経っても子供ができなかった。ある日、夫が問いつめたところ、妻は自分は不妊症かもしれないと答えた。病院で診てもらったところ、医師からその可能性を告げられたのだという。

 夫はなぜそのことを隠していたのかと責め立て、親族に言いふらした。親族は妻をなじり、意地悪をし、ついには追い出してしまった。夫にとっても親族にとっても、子供の産めない女性は「用なし」だったのである。

 その後、夫は別の女性と結婚し、子供をもうけた。

 女性にとっては理不尽な話であるが、子供を産める産めないが人生を左右しかねない環境では、こうしたことが起こりうる。

 もちろん、不妊は必ずしも女性にだけ責任があるわけではない。WHO(世界保健機関)によれば、不妊の原因が女性にある場合は41%、男性にある場合は24%、男女ともにある場合は24%(その他、原因不明が11%)に上っている。夫の誤った判断で、女性が必要以上の不幸にさらされていることもあるのだ。