「死屍累々生地獄」…おどろおどろしい見出しが紙面に並んだ
地震発生直後から、各紙の記事にはこれでもかというほど、最大級の形容表現が使われた。
「死屍累々生地獄の如し」(2日付大朝第2号外)、「宛如(さなが)らノアの大洪水」(2日付信濃毎日付録)、「一望千里唯(ただ)焦土」(3日付大朝第2号外)、「此れ眞(真)に修羅の巷(ちまた)」(3日付静岡民友)、「海嘯と大火の暴威に虐(しいた)げられ 饑(飢)餓に泣き焦土に迷ふ活(い)き地獄」(3日付京都日出)、「殘焰(残炎)狂ふ潰(壊)滅の帝都」「關(関)東一帯は焦熱地獄」(3日付神戸)、「譩(ああ)凄絶慘絶の極」(3日付福岡日日)、「飢と恐怖の巷に都民二百萬 塗炭に苦しむ」(4日付神戸)……。
そんな中では、飛行機に同乗して上空から被害実態を見た所沢飛行学校生(上等兵)の談話に付けた「有(あら)ゆるものは倒れた 壊れた、燒(焼)けた、死んだ」(2日付大朝第4号外見出し)は新鮮。
そうした混乱の中で、被災住民や避難民の不安を増幅する情報が流布される。「横濱(浜)の囚人三百脱獄す 途中暴行掠(略)奪を擅(ほしいまま)にす」。4日付名古屋は「敦賀から名古屋運輸事務所への電報」としてこう報じた。
不安を恐怖にエスカレートさせた「不逞鮮人」の文字
不安を恐怖にエスカレートさせたのは、当時朝鮮人を指して使われた「鮮人」の文字の氾濫だった。見る限り、最も早く新聞紙面に載るのは3日付東日号外だが、不思議なのは、「鮮人を無やみに迫害するな」という警視庁の3日付告示の記事だったことだ。
昨日来、一部不逞鮮人(ふていせんじん)の盲動が起きているが、いまや厳密な警戒によってそのあとを絶ち、鮮人の大部分は順良にして何ら凶行を演じるものではない。ついてはみだりに迫害し、暴行を加えるなどがないよう注意してほしい。また不遜の点があると認められる場合は、速やかに軍隊、警察に通報してほしい。
不逞は勝手に振る舞うこと。関東大震災では「不逞鮮人」が紙面に頻出した。のちに、これらは虚報の数々だったと分かる。