デマの拡大に警察が関与?
のちに、それらは虚報と分かるが、東日の記事は、原敬吾「近代日本の谷間(下)―関東大震災前後―」(「自由」1962年1月号所収)が引用した警視庁機関誌(「自警」か)の掲載記事と内容が重なることから、ネタ元が警視庁周辺であることは間違いない。同論文によれば、東京衛戍司令部は戒厳令施行前の午後5時に各警察署に「鮮人の行動を警戒すべき」とする命令を発したという。
震災から約2カ月後の10月29日付報知朝刊は、東京・本郷区(現文京区)の自警団(治安維持のため在郷軍人、青年団などを中心に各地区で自発的に組織され、朝鮮人虐殺にも関与した)の秘密会議で、9月2日に警視庁の自動車が「不平鮮人が各所において暴威をたくましう(暴力を振るう)しつつあるから各自注意せよ」との宣伝ビラをまいた、と、ある地区の代表が報告したと書いている。流言の拡大に警察も関与していた疑いは否定できない。さらに気になるのは、虚報の発信・中継地に名古屋が目立つこと。そして、名古屋も含め運輸局・鉄道局が多く登場することだ。鉄道電話があったため発信・中継地になったのだろうが、ほかに何か背景があったのか。
それにしても、3日の段階での警視庁告示はあまりに手回しがいいように思える。うがって言えば、「流言蜚語」をリークしつつ「迫害しないようにとの告示を出した」という“アリバイ工作”と考えても不思議はない。松山巌『うわさの遠近法』(1993年)は「この告示が流言に油を注ぎ、火をつけた」と書いている。「不逞鮮人の跳梁跋扈」は4日をピークに6日ごろまで、新聞によって濃淡はあるが、ほぼ全ての新聞で報じられる。
一部の見出しを挙げただけでも「放火、強盗、強姦、掠奪 驚くべき不逞鮮人暴行」(4日付河北)、「不逞鮮人が盛んに出没 至らざるなし惨禍に乗じ暴行頻出 警官軍隊が相呼應(応)して二十名逮捕」(4日付上毛)、「戦慄すべき恐怖時代の出現 鮮人囚大蠻(蛮)行」(4日付神戸)、「東京、横濱の變(変)災に乗じ鮮人團(団)放火で暴る」(4日付福岡日日)、「大火藥(薬)庫爆破の計畫(画)か 不逞鮮人の數(数)數百名」(5日付山陽)……。
5日付河北は「東京の焼けたのは、地震による火災よりも朝鮮人の放火が主な原因だった」「東京が焼野原に化したのは皆朝鮮人の仕業」という東京からの避難者の話を載せている。先入観に満ちたデマが日本人社会の中に広がっていた。5日付で上毛が「不逞鮮人暴挙と潜入 全く根拠なし」との知事談話を掲載。
朝鮮人虐殺は許可が出るまで新聞に載らなかった
群馬県渋川町(現渋川市)が「不逞鮮人団」に包囲されたという情報などを虚報として「根も葉も無いことに町民の物々しい警戒」と指摘したほか、6日付名古屋も「東京発」で「暴状の眞相は事實(実)とは大違ひ すべて誇大に傳(伝)はつた 朝鮮人の方で却つ(かえっ)て怖(おそろ)しがる」と書いたが焼け石に水。虚報の氾濫とは裏腹に、混乱の中で起きた朝鮮人虐殺と、思想家・大杉榮らの殺害は当局の許可が出るまで新聞には載らなかった。