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「私はこうして殺されかけた」ロシア国内で戦争報道に尽力した女性記者が告発…プーチン政権による「言論統制」

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 私はベルリンに部屋を見つけて引っ越した。9月29日に「メドゥーザ」(※ロシアの独立系メディア)に出勤した。私の最初の出張はイランに決まった。イランには何度か行ったことがあったし、あそこでの仕事の仕方はわかっていた。手伝ってくれる人たちを見つけ、ビザを取り、服を買った。その次の出張先はウクライナに決まった。「メドゥーザ」は、イランに出発するまでにウクライナのビザのための書類を出しておくようにと私に言った。

 申請用紙への記入と、大使館のアポを取ることができるサイトは、どちらもできなくなっていた。ウクライナ外務省のホットラインでは、サイトはハッカーによる攻撃を受けており、その対処が済むまで登録はできないと言われた。私は大使館内部のコネクションを探し始めた。ミュンヘンの領事館で受け入れてくれるということで決着がついた。

※写真はイメージです ©iStock.com

 これについては言い訳もできないが、私はFacebookのメッセンジャーでミュンヘン行きについてのやりとりをしていた。Facebookのメッセンジャーは安全じゃない、そんなことは知っていたのに。でも私はロシアではなくドイツにいた。何年間も守ってきた基本的な安全のルールさえ忘れてしまっていた。

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体に現れた異変

 10月17日の晩に私はミュンヘンに出発した。長時間かかる夜行列車の一般車両に乗った。靴を脱ぎ、座席に横になって眠った。前を通り過ぎる人たちが私の足にぶつかる、私は目を覚まし、足を引き寄せてまた眠った。

 10月18日の朝にミュンヘンに到着した。友人の家に行き、少し眠ってから領事館に行った。領事館の職員たちは、ウクライナで何をするつもりなのかと私を質問攻めにした、私の書類を受け取ってはくれたがビザの申請はできなかった――領事館内部の問題だった。私が出直すことになった。

 女友だちが領事館に迎えに来てくれて一緒に昼食に行った。レストランの外のテラス席で食事をした。私たちがそこにいる間に、彼女の知り合いが二度も私たちのテーブルにやってきた――男性一人と女性二人組。ミュンヘンってなんて小さな町なのだろう、みんな顔見知りなんだ。私はお手洗いに行って席に戻った。ビザのことばかり考えていた、ビザが下りる可能性は低い、でもひょっとしたら出るかもしれない。

 その後、友人が駅まで車で送ってくれた。駅が近づくと彼女はこう言った、「あなた臭ってるよ。消臭剤を探してくるね」。消臭剤は見つからなかった。私は彼女の言葉に驚いたことを覚えている――彼女は節度のある人だから、私が本当に嫌な臭いを発していない限り、何も言いはしなかっただろう。

 列車の中で自分の席を見つけるとすぐにトイレに行った。テーブルナプキンを濡らして体を拭き始めた。ものすごく汗をかいていた。汗はツンとして変な匂い、腐った果物の匂いがした。