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「私はこうして殺されかけた」ロシア国内で戦争報道に尽力した女性記者が告発…プーチン政権による「言論統制」

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耐えがたい頭痛と発汗

 自分の席に腰を下ろすと、本の原稿の校正を始めた。しばらくすると、同じ段落を何度も何度も読み返していて、先に進めないことに気づいた。私は自分の体に注意を向けた。頭が痛かった。

 その3週間前に私はコロナに感染していた。もしかしてまた罹ったのだろうかと思った。

 私はヤーナに電話をして、気分が悪いと言った。コロナじゃなければいいんだけど、それならイランに行くつもりだと言った。

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 本の校正に戻ろうとしたが、どんどん気分が悪くなっていった。頭痛がひどくなり本を見ることもつらかった。汗がどんどん出てくるので、またトイレに行きナプキンで体を拭いた。

 駅で列車を降りると、家までどうやって帰ればいいのかも考えられないことがわかった。地下鉄に乗り換えなければならないことは知っていたものの、どうやって乗り換えるのかがわからなかった。通りに出てタクシーを呼ぶことも考えたが、地図アプリで場所を特定しなければならないこと、実際の道を照合することを考えると恐怖を感じた。とても複雑な作業だし、私にはできないと思った。地下鉄の電車のホームへの通路を見つけるのにかなり時間がかかった。ホームで私は激しく泣いてしまった――どちら側の電車に乗ればいいかわからなかったのだ。他の乗客たちが助けてくれた。

 地下鉄から家までは歩いて5分。とても長い時間歩いた。数歩あるくたびに鞄を地面に落とした――鞄が耐え難いほどに重く感じられ、休み休みだった。

 階段では息切れがした。なんだって私を打ちのめしてくるんだよ、クソコロナめと思った。

 家ではすぐに横になった。眠れば気分が良くなるだろうと思った。

 でもさらに悪くなった。

奇妙な腹部の痛み

 腹部の痛みで目が覚めた。とても奇妙な痛み――すごく強い痛みなのにキリキリとはせず、痛みのスイッチが入ったり切れたりするような感じだった。私は体を起こして座ろうとしたが、また倒れてしまった。めまいがして部屋がぐるぐると回転しているように感じるほど。回転するたびに吐き気が増した。なんとかトイレまで行って吐いた。

 私はイランの人たちとのやりとりも続けていた。泣きながら。新しい仕事場での最初の出張がこんなことになるなんて。

 お腹の痛みはどんどん強くなっていった。肌に触れるだけでも痛かった。その夜も、その後の数日間もほとんど眠れなかった――眠りに落ちると、痛みに起こされた。めまいも続き、座ったり起き上がったりしなければならなかった。

 3日目になって、出張には行かないこと、そしてコロナではないことを理解した。

「私はこうして殺されかけた」ロシア国内で戦争報道に尽力した女性記者が告発…プーチン政権による「言論統制」

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