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「あなたは毒を盛られたかもしれない」と医師が診断…戦争報道に取り組む、ロシア人女性記者を襲った「体の異変」

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 5月2日、ベルリン検察庁が、殺人未遂容疑だった件は打ち切りになったと知らせる手紙を寄こした。捜査の結果、私を殺そうとしたことを示すいかなる証拠も出てこなかったと。「血液検査の数値は、毒物投与を明確に示すものではない」と。

「The Insider」と「Bellingcat」の問い合わせに答えた医師たちは、私の身に起きたことを説明するものとして最も可能性が高いのは有機塩素剤による中毒だと話している。私はこの情報を警察に伝えた。7月21日、検察庁は事件の再捜査を開始した。

殺された4人の同僚たち

 私には今何が起きているのだろう? 痛みと吐き気とむくみは引いた。体力は戻っていない。「メドゥーザ」は退職した――まだ出張などまったくできる状態じゃない。今の私は1日3時間しか働けない。その時間は増えてきてはいるが、ゆっくりとだ。何もできない日もある。そのときは横になって、自分を嫌いにならないよう努力している。

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 この文章を書きながら、私は年表を作り直し、重要なディテールをすべて思い出そうとした。でも、どんなディテールが重要なのだろう? 11月に友人がベルリンに来た。彼は出版人で、活動家でもジャーナリストでも政治家でもない。彼はうちに来て私の状態にぞっとした。毒を盛られたかもしれないってわかってる? 医者には言ったの? と彼は言った。私は、「言ってないし、言うつもりもない。だって馬鹿げているでしょう」と返した。自分の妄想を私にうつさないでと。

 私は警察官たちに嘘をついた。「そんなことを考えるなんて変」ではなかった。私が「ノーヴァヤ・ガゼータ」で働いている間に、4人の同僚が殺されたのだ。私はヒムキ(※モスクワ北西の町)のジャーナリスト、ミハイル・ベケトフの葬儀をしたのだ、彼は私の友人だった。ジャーナリストたちが殺されていることは知っていた。自分が殺されるかもしれないなんて考えたくなかった。嫌悪感、羞恥心、そして疲労が、私をそういう考えから引き離していた。私の死を望む人たちがいるなんて考えるのは嫌だった。そんなことを口にするのは恥ずかしかった。親しい人にだって話すのは恥ずかしいのに、あそこは警察だったのだ。それに私は疲れていて、もう走る力など残っていないと感じていた。

「私は生きていたい」

 数週間後に私の本が出る(※)。その中で私は、ロシアがいかにしてファシズムに至ったのかを語っている。この本は数カ国語で出版される予定だ。警察は、この本の出版が引き金になるかもしれないと考えている。ウクライナで私を殺そうとし、ドイツでも同じことをしようとした連中は、またやろうとするかもしれない。

 私は生きていたい。

 だからこの文章を書いている。

 それから、私の同僚たち、友人たち、活動家たち、そして今は国外にいる政治的避難者たちにも用心してほしいと思っている。私よりももっと用心してほしい。私たちは安全ではないし、ロシアの政治体制が交替するまで今後も安全にはならない。私たちの仕事はこの体制の終わりを早めている、この体制を終わらせることが私たちを守ってくれる。もしも急に具合が悪くなったら、どうか、毒物投与の可能性を否定せず、そのことを医師に伝えてほしい。自分を守ってほしい。もしも、すでにそういうことがあなたの身に起きているなら、「The Insider」か「Bellingcat」の調査員に連絡を取ってほしい、彼らは私たちを殺そうとしている者たちを探している。

※エレーナ・コスチュチェンコ氏の著書『I Love Russia』の邦訳版『ロシアーー私の愛する国』(仮題、高柳聡子 訳)は、2024年にエトセトラブックスから刊行予定。

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