高松はその後も食い下がり、返信で、
「番指物を差す身分の者が、采配で指揮をすることはあり得ませぬ」
などと、暗に戸村の見間違い・記憶違いを示唆し、遠回しに訂正を求めたが、戸村は譲らず、
「たしかに番指物を差す者が、普通、采配を振るうことはない。だが、采配自体は武者なら必ず所持しているもので、この有無をもって、黒具足の武者が高松殿であったと断ずることはできない」
と、あくまでも己の主張を曲げなかった。
戸村にしてみれば、
「戦場で旗指物の有無を見誤るなどというのは、敵味方の区別がつかないと言うも同じである。たとえ30年前のことであっても、記憶違いなどあり得ない」
と言いたかったのだろう。結局、両者の主張は平行線を辿り、やがてこの奇妙な往復書簡は終わった。
戸村の頑固さに、高松は辟易(へきえき)しただろう。しかしほんの少しは、そのことを喜ぶ気持ちもあったのではないか。
自分が命を賭けて戦い、敗れたのは、たやすく言葉を曲げ、武功を粉飾するような下らぬ敵将ではなかった。ここまで交わした書簡は、そのことを雄弁に物語っていた。
こうして高松久重は、武功の証明にはいささか心もとない文書と、子孫に語り伝えるべき、新たな思い出を手に入れた。
「黒具足の武者」の正体
ちなみに、紀州藩主・徳川頼宣の言行を記した『大君言行録(南竜言行録)』によれば、戸村が戦った黒具足の武者の正体は、「木村隊の物頭・佐久間蔵人」であったらしい。
佐久間は、「今福の戦い」の翌年、「若江の戦い」で井伊直孝の部隊と戦い、井伊家臣・正木舎人(重次)に討ち取られた人物である(『寛政譜』井伊氏)。
同書の記述が正しいとすれば、高松も戸村も、すでにこの世にいない人物に振り回されていたことになる。
おかしみさえ感じさせるような真相だが、この奇妙な往復書簡の結末には、かえって相応しいかもしれない。
参考:堀智博『大坂落人高松久重の仕官活動とその背景 : 戸村義国との往復書簡を題材として』(『共立女子大学文芸学部紀要』第62集 収録)2016
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