メソポタミア文明発祥の地で、ティグリス川とユーフラテス川の合流地点に広がる巨大湿地帯に挑んだ『イラク水滸伝』。著者の高野秀行さんと、エッセイストの酒井順子さんは同じ1966年生まれ。バブル期に大学時代を過ごした2人が、作家としての今までとこれからを語った対談の一部を、『週刊文春WOMAN2023秋号』から抜粋して紹介する。
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すべてが予測できるような場所には、最初から行かない
酒井 はじめまして。『イラク水滸伝』、すごくおもしろかったです。
高野 ありがとうございます。分厚い本ですみません(笑)。
酒井 ほんとに! 手元に届いたときは「え⁉」と思うくらい厚くて驚きましたが、読み始めたらあっという間。いろいろな食べ物の話もおもしろくて、私は魚のスープが美味しそうだなと。
高野 「マスムータ」ですね。発酵させた魚のスープですから、なかなか匂いが強烈で、僕は「くさや汁」と呼んでいました(笑)。食べ物の話はみんな興味を持ったみたいで、いちばん人気は「鯉の円盤焼き」。くさや汁と言ったのは酒井さんがはじめてです。
酒井 最初にイラクに行ったのが2018年ですから、5年の間に3回渡航しての労作。そもそも極度に情勢不安のイラクに行くのは怖くなかったですか?
高野 イラクは日本の外務省の渡航情報だとレベル4かレベル3なんです。「ただちに退避せよ」とか「どのような目的であっても渡航は止めてください」という状況。もちろん危険だということは理解していましたが、過去の経験から必ずどこかに危なくない方法があるはずだと思っていました。あとはやっぱり、そういう状況のほうがおもしろいと考える性分なので。
酒井 自分から求めている。
高野 そうなんです。現地に行って何が起こるかわからないからおもしろいわけじゃないですか。すべてが予測できるような場所には、最初から行かないです。
タイトルはイラク渡航前からに決めていた
酒井 高野さんはこれまでたくさんの冒険、探検をして、作品を書いているわけですが、テーマや謎はどう見つけているのでしょう?
高野 よく「特殊な情報ルートを持っているんですか?」ときかれるんですけど、そんなものはないです。この『イラク水滸伝』も、とっかかりは2017年に朝日新聞の国際面にデカデカと掲載された「砂漠の国 文明育んだ湿地」という記事。朝日の購読者が何百万人かいて、3分の1の人がこの記事を読んだと仮定すると、100万人以上。そのほとんどの人が「ほお、へえ」と読み終えたんでしょうが、僕のアンテナは「これだ!」と反応した。