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酒井 湿地帯になにかあると感じたわけですね。

高野 世界遺産にも登録されている巨大な湿地帯(アフワール)に、戦争に負けた人間や山賊、犯罪者、マイノリティなど、さまざまな人間が逃げ込んで生活している。まさに、中国の宋代の豪傑が、官憲が近付けない湿地帯の梁山泊に集まって山賊行為をしたり、政府と戦う様子を描いた中国の奇書『水滸伝』の世界です。僕は本を出すとき、いつもギリギリまでタイトルを迷うんですが、この本はイラクに行く前から『イラク水滸伝』にしようと決めていました。

コロナ禍に渡航が直前で中止に

酒井 具体的には、まず何をされたんですか? イラクにお知り合いがいたわけではありませんよね。

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高野 いつもの僕のスタイルで、言語学習を手掛かりにしました。東京外国語大学大学院に在籍していたハイダル・ラダー君と知り合い、イラク方言を習ったんです。バグダードでの滞在も、ハイダル君の家に泊めてもらいました。

酒井 高野さんの語学の知識は幅広いですよね。私なんて英語も話せないのに……。

高野 そしてもう一人、川や湿地帯に詳しい、林業専門家の山田高司隊長に旅の相棒をお願いしました。山田隊長が湿地帯の映像を見て「ええ舟やなあ。ええ舟大工がおるんやなあ」とつぶやいたことが、「湿地帯で舟を作って乗る」という目的につながったんです。

伝統的な舟「タラーデ」で湿地帯を進む

酒井 とはいえ、実際に現地に行ったら、案の定というか、トラブルも多かったわけですよね。コロナ禍もありましたし。

高野 あの“危険地帯”のイラクから、コロナ感染者が出ている日本人は来るなと言われ、渡航が直前で中止になる、なんてこともありました。

モノを書く人間には“不幸運”が欠かせない

酒井 現地のキーパーソンの方が病気になったりもした。

高野 自分ではどうしようもないこともたくさんありました。もちろん大変は大変なんですが、旅をしました、謎がとけました、めでたしめでたし、だと読者も盛り上がらない。読者って著者が苦労すればするほど喜ぶ人たちじゃないですか(笑)。現場でつらい思いをすればするほど、作品はおもしろくなる。

高野秀行さん

酒井 わかります。モノを書く人間には“不幸運”も欠かせないですよね。たとえば、私がセレブと結婚して幸せな家庭を持って、ウハウハした人生を送っていたら、エッセイを書いてないと思うんですよ。

高野 不幸運という言葉を初めて聞きました(笑)。エッセイストにもそれが必要なんですね。