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 スワローズでの現役時代のラストシーズンを野村の下でプレーした栗山の監督観も、森保とほとんど一緒である。

「監督なんて偉くも何ともないと思っています」

 日本ハムの監督時代、彼はこう語った。

「僕は監督なんて偉くも何ともないと思っています。僕の中での監督は、あくまでも“決める係”です。皆の意見を聞いて、誰かが最後は決めなきゃいけない。それを担っているだけです」

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©️文藝春秋

 もし、コーチと意見が分かれてしまった場合は、どうするのか。

「僕に決定権があるからといって、知らん顔で強引に“こうします”とは言えません。説明しても納得してもらえない時は、“本当にごめん。頼むからやらせてくれ”とお願いするしかないですね」

 監督がコーチにお願いする、というのも妙な話だが、自らが信頼しているコーチの意見を覆すには、そうでもするより他にないということなのだろう。

 コーチには、それぞれ考えかたがあり、コーチを任命したのは他でもない私です。

 

 ならば、彼らを信頼して任せるべきでしょう。私がやるべきなのは口を出すことではなく、コーチの話をしっかりと聞き入れ、それでいいのかどうかを判断することなのです。

 

 コーチ陣にはいつも、「僕より野球をよく知っているから、ここで仕事をしてもらっているのだよ」と伝えています。自分を卑下しているわけではなく、彼らを持ち上げているわけでもなく、客観的な事実としてそう考えています。コーチの意見を聞くことに、ためらいはありません。

 

 だからといって、コーチに任せきりにしません。最終的な判断を下し、その裏付けとして勉強を重ねます。ただ、取り入れた知識をそのまま自分のものにするのではなく、「こういう考え方もある」というレベルでとどめておきます。

 

(栗山英樹『栗山ノート』光文社)

 果たして監督はチームという「機関」の一部なのか、それとも主権者なのか。2人の考え方は共通して、どうやら前者のようだ。

 2つ目の共通点は歴史観である。森保は戦後29代目の、サッカー日本代表監督である。対する栗山は公開競技ながら金メダルを獲得した84年ロサンゼルス五輪代表の松永怜一を初代とすると、14代目の代表監督にあたる。

©️文藝春秋

歴史上、小さな点に過ぎない自分には何ができるか

 ここでいう歴史観とは何か。彼らは長い競技の歴史の中に、自らの使命を見出そうとする。サッカーならサッカー、野球なら野球が歩んできた、これまでの道のりを一本の線に見立て、その線上に自らを置く。さらに、この歩みを豊かなものにする上で、小さな点に過ぎない自分には何ができるか。彼らは、自らへの問いかけをやめない。

 18年7月、代表監督に就任した森保がまず手を付けたのは「過去の振り返り」だった。