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「日本は22年カタール大会まで6回、W杯に出場しています。98年フランス大会の監督が岡田武史さん、02年日韓大会がフィリップ・トルシエさん、06年ドイツ大会がジーコさん、10年南アフリカ大会が再び岡田さん。14年ブラジル大会がアルベルト・ザッケローニさん、18年ロシア大会が西野朗さん。この時、僕はコーチでした。

 僕は継続性のことを“積み上げ”と言うんですけど、こうした積み上げがあって今がある。日本のサッカーの歴史が継承されていく。僕は過去から受けたバトンを、いいかたちにして未来につなげていかないといけない。そのことはずっと考えていました。

 たとえば、僕がよく口にする“良い守備から良い攻撃に”という言葉は、まさに南アフリカ大会で岡田さんがやられていたことです。W杯前は4─2─3─1というシステムの中、失点する時はサイドを崩されていた。そこからロングボールを入れられ、何度か試合を落としていた。せっかく、そういうデータがあるのなら、それをいかさない手はない。いや、いかすべきだろうと考えていました」

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©️文藝春秋

 森保は節目の試合前に、何度か岡田にアドバイスを求めている。岡田は「これまでオレに意見を求めにきた代表監督は彼が初めて」と語っていた。

 代表監督とは、まさに“一国一城の主”である。森保は「監督係」と言うが、世間一般の認識としては「係長」どころか「社長」である。社長に就任した以上、前任の社長にアドバイスを求めるわけにはいかない、と普通の社長なら考える。中には周囲の目を気にするあまり、無理に社長らしく振る舞おうとする者もいるだろう。

「ポイチ、心配するな。オマエのことを信じているヤツいるから」

 だが、「監督係」を自任する森保には、ポストに対する執着がない。ある先輩が、何かの席で森保に対し、「日本代表監督を、もう“ポイチ”とは呼べないな。今日からは監督と呼ぶよ」と居住まいを正して言ったところ、当人は素知らぬ顔で「今まで通りでいいですよ」と答えたという。

 森保が岡田に「堰せきを切ったように長い文面」を送ってきたのは21年10月、カタールW杯アジア予選でホームのオーストラリア戦に勝利した直後だった。

 岡田は語っている。

 相当に苦しかったんだと思ったよ。森保はきっと最大のヤマ場だと踏んでいたに違いなかったし、その大勝負に勝ったということ。彼自身もチームもあの試合を経てガッと成長したなと感じた。だから次のオーストラリア戦、簡単じゃないとは思うけどそれほど心配していないんだよ。

 

(Number Web 2022年3月29日配信)

 森保からのメールに岡田は、〈ポイチ、心配するな。お前のことを信じているヤツいるから。味方がいるから〉(同前)と返信した。

 苦境に立たされている人間にとって「味方がいるから」という言葉ほど、勇気づけられるものはない。100のアドバイスより、激励の一言である。