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「これはやばい。沈む」

 午後1時10分ごろ。

「ホヤ買ってきて」という何気ないやりとりのおよそ10分後のことだ。

 寝つけずにいた豊田は突然、右舷前方からの「ドスン」という衝撃を感じた。

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 わずかに、静かに、船体が右へ傾く。

 豊田は「波が甲板に乗ったな。そのうち抜けるだろう」と考え、横になったままの姿勢でいた。すると、船体の復原を待たずに2度目の強い衝撃があった。最初の衝撃から7~8秒後。連続的な衝撃だった。豊田には「ドスッ」と「バキッ」という音が重なって聞こえた。

 これまで一度も耳にしたことのない、異様な音だった。

 強い衝撃で豊田の体はベッドの上でスライドし、壁に足が当たった。船体の右傾斜が増す。

「これはやばい。沈む」 瞬時にそう直感した。

 豊田は、さっきまで雑談していた若い同僚に「起きろ!」と大声で叫んだ。

「危ねぇから起きろ!」

 同僚の名を大声で呼びながら、豊田はズボンをはこうと一瞬、考えた。しかし、船の傾きは増している。ズボンをはいている場合ではない。Tシャツにパンツ姿のまま、通路に飛び出した。

船の傾きが戻らない…

 左舷側に脱出しないと助からない

 豊田の船員室は地下1階の後部にある。狭い通路の一番奥にあり、最も船尾に近い。

 扉を開けて部屋を出ると、通路を挟んだ斜め前の部屋から機関長の杉山洋一が出てきた。

 通路の先にはワイヤー交換作業を共に行っていた大道と新人の新田が見える。衝撃で、みんな飛び出してきたのだ。彼らの後を追って、豊田も通路を抜け、階段を勢いよく駆け上がった。

 船は右に15度ほど傾いたままになった。波で傾いたのであれば、船の傾きは間もなく元に戻る。なのに傾きは戻らない。

「このままだと、右にひっくり返る。傾きとは逆の、左舷側に脱出しないと助からない」

 豊田は、そんな考えを巡らせた。

 誰もいないサロンを抜ける。階段を数段上がり、無線室左舷側の踊り場に至った。