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海もおそろしい

「これはやばい。沈む」異様な音が聞こえ、傾いた船はズブズブと…犠牲者17名の沈没事件が起きた“衝撃の瞬間”

「これはやばい。沈む」異様な音が聞こえ、傾いた船はズブズブと…犠牲者17名の沈没事件が起きた“衝撃の瞬間”

『黒い海 船は突然、深海へ消えた』より #1

2023/10/26
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思い思いの休息

 2008年6月23日。

 太平洋上の第58寿和丸に静かな時間が訪れた。

 パラ泊中の船内では、めいめいがくつろぎ始めていた。朝から仕事を休める日など、そうそうあるものではない。午後も昼寝をしたり、テレビを見たり、誰もが思い思いの休息を楽しむつもりだった。

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 通信長の斎藤航は食事を終えると、サロンのすぐ隣にある無線室に入った。寝室も兼ねた斎藤の根城だ。パラ泊を始めておよそ2時間後、斎藤は〈パラ泊中。始動まで失礼〉というメールを会社に送っている。船員室に下がった他の乗組員と同じように、そのまま体を休めるつもりだったのだろう。何しろ漁は休みだ。昼間から眠っても何の問題もない。

 午前11時半頃、気象庁は「関東海域では南の風が強く、最大18メートルの風が吹く」という海上強風警報を発令していた。

 寿和丸船団が漂泊する犬吠埼沖の状況はどうだったか。僚船の航行日誌を元に、後に酢屋商店が作成した資料によれば、正午ごろ、パラ泊海域の天候は雨。視界は約3マイル、キロ換算で約5・5キロメートルだった。南の風は10~11メートル、波は3メートルと記録されている。波は高めだが、パラ泊を決めた朝8時ごろと比べると、海況はよくなりつつあった。

 甲板下の船員室に下がった豊田は、同室の若い乗組員と一緒だった。若い乗組員は数ヵ月前に彼女ができたという。

 寝台に寝転がりながら2人は「陸にあがったら彼女と会うんだろう」とか、「休みにパチンコやろう」とか、他愛のない雑談を1時間ほど交わした。外は見えないが、波は落ち着きつつある。いつ操業を開始してもおかしくない。

「休めるうちに休もう」。そう言って2人は境のカーテンを閉め、眠りにつこうとした。

 午後1時。

 会社に〈始動まで失礼〉と告げて休息に入っていた通信長の斎藤はその時刻、無線室で船舶電話を使っている。相手は、同じ船団に所属する運搬船の第33寿和丸だった。

 前日の操業で獲った魚を水揚げするため、第33寿和丸ともう1隻の運搬船・第82寿和丸は漁場を離れていた。犬吠埼沖のこの海域には本船の第58寿和丸と探索船の第6寿和丸が残されていた。もう1つの寿和丸船団は、同じ海域のやや離れた場所にいる。

 第58寿和丸の通信長・斎藤は、その第33寿和丸の乗組員仲間に向かい、船舶電話でこう話しかけた。

「ホヤ買ってきて」

 会社からの指示により、第33寿和丸は石巻港でカツオ70トンを、第82寿和丸は小名浜港でカツオ36トンを水揚げしていた。運搬船は、水揚げを終えると、氷や食材、油を仕込んで、再び漁場へ向けて出港する。

 一方、船団の本船たる網船は、いったん港を出たら3週間程度は戻らない。だから乗組員たちは、水揚げのために港へ入る運搬船にさまざまなものを頼む。たばこ、酒、雑誌……。

「週刊漫画」を名指しで頼む人もいる。「ホヤ」もその一つだった。漁船とはいえ、第58寿和丸が「ホヤ」を獲ることはない。斎藤は自分たちの賄い用として、それを仲間に頼んだのだろう。

 パラ泊中の船内に、やや気が緩んだような時間が流れていた。