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「80年当時は、今と契約金、年俸の額が全然違いますね。契約金は4800万円で、年俸が450万円だった。日本がバブル経済になる前だったけど、不動産はもう上がり始めていて、当時住んでいた神奈川県逗子市でもマンションが買えなかった。

 僕が入団した頃、プロ野球では年俸3000万円が一流選手の条件だと言われていました。エースの村田兆治さんや四番打者の有藤道世さんがそれを超えるくらいで、レギュラー選手でも1000万円になるまでは大変でした。ロッテには落合博満さんもいましたけど、今の時代に落合さんくらいの成績(三冠王を3回)を残したら、年俸は10億円を確実に超えるでしょうね」

 当時のロッテは人気がないと言われたパ・リーグに属する球団で、リーグ優勝から長く遠ざかっていた。

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「コーチや先輩からも『3年間、レギュラーとして活躍してやっと一人前』と言われていて、1年だけ成績がいいからと言って3倍増になることなんかなかったですね。年俸の伸び方は、今とは全然違う。

 日本経済があまりよくないこの20年間で、プロ野球選手の年俸がガンガン上がったじゃないですか。同世代の連中とは、『もう20年遅く生まれればよかった』と言い合ったものですよ」

ひと晩で100万円も使って遊ぶ

 選手に移籍の自由がない分、どの球団にも生え抜きのスター選手がいた。個性的で豪快で、「ザ・プロ野球」と言える選手たちが。

「通算215勝の村田さんは、野球のことしか頭にない方でした。僕がプロ野球に入った頃は、そういう人が多かったですね。バント処理のためのサインプレーなどお構いなし。どんな強打者が相手でも剛球で真っ向勝負という、漫画に出てくるようなピッチャー。とにかく食に対するこだわりが強くて、お昼には必ずステーキを食べていました。

若かりし頃の村田兆治さん。写真は2008年のもの ©文藝春秋

 落合さんは秋田出身だから、腰を据えて飲む時には二升くらいは平気でした。ロッテ時代のオープン戦前日、鹿児島のホテルのラウンジで朝の4時まで飲んで、当日のデーゲーム前に明け方ちょっとだけ寝て、試合に出てホームランを打ったんですよ。落合さんは、『今年も4時まで飲めるぞ』って言いました。朝4時まで飲んで、自分の体がどれくらい動くかを試したかったらしい」