「ひとりだけほめてくれた人がいます。オープン戦の時に……」

 プロ4年目の2007年、年俸を上げるために、球団との契約更新で6回も保留を選んだGG佐藤氏。ファンから「銭ゲバ」とまでヤジられた彼を唯一褒めた「プロ野球界のレジェンド」とはいったい? スポーツライターの元永知宏氏の最新刊『プロ野球で1億円稼いだ男のお金の話』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

現役時代、年俸交渉で6回も保留したGG佐藤氏。そんな彼を褒めた「ただ1人のレジェンド」とは? 写真は2008年のもの ©文藝春秋

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入団1年目のオフに保留した初めての選手

 球団との「銭闘」で話題を集めた選手と言えば、多くのプロ野球ファンはこの人の顔を思い浮かべるだろう。

 1978年生まれのGG佐藤は、桐蔭学園(神奈川)、法政大学を経て、アメリカ・マイナーリーグのフィラデルフィア・フィリーズの1Aでプレー。2003年ドラフト会議で西武ライオンズ(現・埼玉西武)から7位指名を受けた。

 佐藤は言う。

「サラリーマンの生涯年収が3億円ぐらいだから、『プロになるなら3億は稼げ』とまわりの人には言われました」

 当時は、契約金2000万円、年俸700万円と報道された。

「年俸はそのくらいですが、契約金は全然違います。プロ野球選手にとって前払いの退職金みたいなものだから、『使わずに貯めとけよ』と言われるんですけども、私の場合は少なかったですね。本当は、300万円でした」

 25歳でプロ野球の世界に飛び込んだ佐藤への期待は高くなかった。

「その頃の一軍最低年俸は1500万円でした。一軍に上がれば、一軍最低年俸に足りない分を日割りにした金額が1日ごとにチャリンチャリンと入ってきます。もし開幕から最後までずっと一軍にいれば、1500万円を稼ぐことができる。絶対にやってやろうと思いました」

 プロ1年目の2004年、佐藤は45試合に出場している(打率2割9分8厘、3本塁打)。

「長い期間、一軍にいたので、1年目は1000万円か1100万円くらいはもらったと思います。でも、年俸のベースはあくまで700万円。レギュラーにならない限り、年俸はなかなか上がっていきませんね」

 佐藤はライオンズに指名される前に、「ハンバーガーリーグ」と呼ばれるアメリカのマイナーリーグを経験している。

「そう言われる通り、月曜日はマクドナルド、火曜日はウェンディーズ、水曜日はケンタッキー、木曜日がバーガーキングで、金曜日はタコベル。それで、土曜日にマクドナルドに戻るの繰り返しです。これ、マジです。でも、アメリカ人はすごくて、店によってポテトがちょっと違うだけで『今日のポテト、うまいね』って喜ぶんです(笑)」

 そんな環境で選手たちは心身ともに鍛えられる。