選手と球団がいくら交渉してもまとまらない場合、選手には年俸調停を申し立てる権利がある。佐藤の調停は、7例目となった。
「球団といくら話をしても、ビタ一文、動きません。何をどう交渉しても、1円も上がらない。泣き落としも通じない。最初の金額のまま、ずっと平行線。
あの時は感情ばかり行き違っちゃってました。双方の差が1000万円くらいありましたね。でも、NPB(日本野球機構)に調停の申請に行ったら、NPBの人がライオンズの人に、『揉めているみたいだけど、この程度の金額で調停するのはやめなさい。来年の四番バッターなんだから、ちゃんと払うべきじゃないですか』と言ってくれたんですよ」
佐藤の場合は、「示談」をすすめられて、球団が譲歩する形で年俸が上がった。
「NPBの人が球団に『歩み寄りなさい』と言ってくれたおかげです。でも、年俸で揉めても、お互いにあまりプラスはないですよね。球団は『シブチン』だと思われるし、選手は金に汚いと思われて……球場ではよく『銭ゲバ』とヤジられました」
年俸が上がっても、失うものも多い。
佐藤を褒めてくれた「ある人物」とは
「ひとりだけほめてくれた人がいます。オープン戦の時に落合博満さんに呼ばれて、『よくやった。とことん戦え。おまえの気持ちはわかるぞ』と言ってもらいました。
頑張った時には頑張った分だけお金をもらったほうがいいと思うんですが、あまりやりすぎると球団に残れなくなるんじゃないかと考えるから、揉めることを避ける選手が多いですね。円満な関係を保っていて、クビになった時には『めんどうをみてくださいね』というパターンが多い」
佐藤はその後も活躍を続けた。2008年は打率3割0分2厘、21本塁打、2009年は打率2割9分1厘、25本塁打を記録している。
32歳になる2010年の年俸は1億500万円になった。しかし、53試合出場で6本塁打、打率2割0分4厘と成績を落とし、翌年は6300万円の大幅ダウン。
「年俸1億円以上の選手は40パーセント、それ以下の選手は25パーセントを超えて減額されないという規定がありますが、本人の同意を得てその制限以上に下げられることが多くなっています。ダメな時はバッサリ! そのあたりは容赦がないですね。私の場合は、まさに“満額ダウン”。成績が悪い時にはおとなしくしておこうと思い、素直に一発サインしました」