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「アメリカの選手は大丈夫なんです。私はシーズンが終わる頃、15キロから20キロくらいは痩せましたが、彼らは体重もパワーも落ちない。ナイターが終わるのが22時とか23時ですから、その時間に開いている店は、ファストフードくらいしかないんですね。店にチームのバスを横づけして『なんか買ってこい』と言われて、食料を確保したらすぐに次の場所に移動です」

 それと比べれば、日本のプロ野球は天国だと佐藤は感じたという。

「どの球団にも寮があるし、朝昼晩の食事に加えて夜食も出る。それでいて寮費は月額3万5000円くらい。お風呂にはいつでも入れるし、アイシング用の氷はあるし、ドリンク類も揃っているし、プロテインもあります。最高の待遇です。寮のすぐそばにグラウンドがあって、練習しようと思い立ったら1分後には始められます」

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 佐藤はそんな環境で腕を磨いた。

「私は寮に2年間いました。3年目もいたかったんですが、『いい加減にしろ』と言われてしまい……ルール的に許されるなら、ずっといたかった。野球をやるには最高の環境だし、お金も貯まるし」

 佐藤は7位指名としては上々の成績を残し、初めての契約更改に臨んだ。

「1年目のオフから、いきなり契約交渉で保留した選手は私が初めてだったそうです。日本プロ野球で史上初! 球団の人には『本当に保留するのか?』と何度も聞かれました」

 レギュラーでもない選手の思いがけない主張に球団側も困惑したことだろう。

「きっと『めんどうくさいやつだなあ』と思っていたでしょうね。私はアメリカナイズされていたっていうのもあるし、『やった分はもらわないと』という思いはありました。

 お金が貯まってきたなと感じたのは、年俸3000万円を超えたあたりから。お金が入ってくればくるだけ使ってしまうものですけど、それでも3000万円も年俸があれば、かなり貯まります。自分に対して『やるね、おまえも』と思ってました(笑)」

 佐藤のパワフルな打撃は、チームの中で貴重な戦力になっていく。

ファンから「銭ゲバ」とヤジられた

 プロ4年目の2007年は、136試合に出場して打率2割8分0厘、25本塁打、69打点。そのオフに「調停騒ぎ」が起こった。

「やっとレギュラーになって、年俸1300万円から希望金額まで上げるのに、6回くらい保留しました。交渉のために代理人を立てたのはライオンズでは私が初めて。代理人にお願いして、6回保留したあげく、大騒ぎになりました」