先日、全国のシャッター商店街をランキング形式で紹介した「水曜日のダウンタウン」が社会派だったと評判になっていた。かつては繁栄を誇ったものの無惨に寂れた商店街に、日本の衰退を感じたという反響がSNSに溢れた。
では人々が今どこにいるのかというと、もちろんショッピングモールである。
モールと聞いてネガティブなものを感じた読者は、おそらく40代以上だろう。モールはとかく商店街と対置され、悪しき新参者として批判されてきた。私も、商店街が輝いていた最後に居合わせているため愛着があり、モールには傍観者の気持ちが拭えなかった。
けれど時は流れた。大店立地法の施行からゆうに23年。赤ちゃんが大学を卒業するだけの時間が過ぎた。
商店街が“わが街”としてノスタルジーを喚起させるように、青春をモールで過ごした若者たちにとって今やそこはフッド(地元)。思い出が詰まった“ぼくらの街”なのだ。
そう、モールは事実、それ自体が独立した「街」である。人々は車に乗って自宅からドアtoドアで、モールという街へ出かける。
そしてそこを街たらしめているのが、1本の「道」で貫かれたモール特有の動線にあると著者は説く。モールはアメリカ的な資本主義を感じさせる一方で、特に買い物をせずとも長時間いられる、「ここにいてもいい」と感じさせてくれるコモン的な場所だ。人々が目的もなくただぶらぶらと歩くことができ、ベビーカーや車椅子も歓迎される、極めて安全な、公共性の高い空間に保たれているのだ。
実は1950年代にアメリカでモールが生まれた背景には、古き良き街がモータリゼーションで破壊されたことを憂えた建築家による、街のコミュニティ的な機能を取り戻そうという思想があった。20年が経ち、そこは映画『ゾンビ』を始祖に、小説や漫画など数々の作品の舞台となる。モールは批評的に扱われることが常だったが、かくして本書のカバーを飾るアニメ映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』はついに、モールをシニカルになることなく“ぼくらの街”として描いてみせた。
後半の対談で東浩紀は、モールは子育て層にジャストフィットした空間で祝祭的な時間を提供してくれるものの、テナントは新陳代謝を繰り返し、年老いた客はコアターゲットからのフェードアウトを迫られると指摘している。それを読んで脳裏を過ぎったのは、私の地元にある、モールと呼ぶにはあまりに小さなショッピングセンターだった。小学生のころ華々しくオープンし、甘酸っぱい思い出がたくさんある場所だが、久しぶりに行くとテナントの8割がシニア向けの店に様変わりしていた。
そこはもう私の街ではなかった。懐かしいとも感じない、まるで知らない場所になっていた。
おおやまけん/1972年、埼玉県生まれ。写真家、ライター。団地好きユニット「団地団」としても活動。著書に『団地の見究』、『新写真論 スマホと顔』、『ショッピングモールから考える』(東浩紀氏との共著)などがある。
やまうちまりこ/1980年、富山県生まれ。作家。著書に『ここは退屈迎えに来て』『あのこは貴族』『メガネと放蕩娘』などがある。