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 スタジオジブリにおける宮崎吾朗の仕事は、空間づくりに留まらない。『ゲド戦記』、『コクリコ坂から』、そしてフル3DCGでつくられた『アーヤと魔女』。監督として、3本の長編映画を手掛けた。これらの映画づくりと、ジブリパークをつくることは、異なる体験なのかどうか。

©杉山拓也/文藝春秋

映画づくりで感じるプレッシャー

「映画づくりとパークづくりは、仕事のありようとしては近いものがあります。ただし、パークづくりのほうが自分にとってずっと楽しい。

 おそらく映画だと、感じるプレッシャーが全然違うからでしょう。

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 ジブリで映画をつくるとなると、やはりその看板を強く意識せざるを得ません。スタジオを立ち上げジブリのイメージを築いてきた宮﨑駿の存在感は、スタジオ内部においても当然ながらたいへん大きい。その人間がまだ現役でいる状況下、ジブリで何かつくるというのはかなりしんどいこと。僕にかぎらず、ジブリで宮﨑駿以外の人間が監督をやれば、プレッシャーが半端ないことになってしまう。

 そうしたプレッシャーに加え、実際の制作過程では、宮﨑駿が口やちょっかいを出してきますから。向こうからすれば、自分のスタジオで自由にふるまうのは当たり前であり、目の前にある創作物を自分の色に染めたくなるのもつくり手の本能なのでしょうけど、やられる側はたまったものじゃありません」

©杉山拓也/文藝春秋

父・宮﨑駿はいくら追ってもさらに先へ走り続けていく

 なるほど、スタジオジブリで映画監督を名乗ることの苛烈さは、想像を絶することのよう。不思議なのは、自身の父親たる宮﨑駿のそうした性向はよくわかっていただろうに、なぜみずから映画監督を引き受けたのかという点だ。 

「最初はうっかり受けてしまったというのが本当のところです。『ゲド戦記』の監督の話を鈴木敏夫プロデューサーに持ちかけられ、やったらおもしろいだろうなとつい思ってしまった。

 あのとき、引き受けなければよかった。やらなきゃよかったな。いまもそう思います。

 映画づくりはただでさえ大変なのに、自分の場合は父親が宮﨑駿なので、どうしてもその背中を追いかけざるを得なくなってしまう。越えるとは言わないまでも、敵うくらいのものをつくらなければ……という気持ちがあった。

 しかも、追いかける対象たる宮﨑駿は、いくら追ってもさらに先へ、どんどん走り続けていきます。だっていまだに『君たちはどう生きるか』みたいな作品を発表するんですよ。あんなものをつくられたら、正直追いつきようがない。徒労感が残るばかりです」