11月10日に最新主演映画『正欲』(監督:岸善幸)の公開を控える稲垣吾郎は「人見知りで目立たない子供だった」が一方で「俳優になれる」と確信していたという。稲垣吾郎が、初めて明かす人気俳優になるまでの道のり――。(全2回の後編/前編を読む)
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稲垣吾郎が10代の頃、好んで観ていた映画は…
――映画に対して、それほど深い思い入れを持つのは、やはり過去の映画体験が関係していますか?
稲垣 ええ、原体験としては10代のころの経験が大きいと思います。いろいろなところで話してきたので、読む方はまたかと思ってしまうかもしれないけど、当時流行っていたヨーロッパ映画を背伸びして観るみたいなことですよね。
――例えば、レオス・カラックス監督の作品とか?
稲垣 そう、単館映画を好んで観にいったりしました。六本木WAVEの地下にあったシネ・ヴィヴァン六本木とか、渋谷のユーロスペースとか。そういうところで映画を観るのが熱かった時代ですよね。まわりの友だちや影響を受けていた人たちに感化された部分もあります。ファッション関係の友だちが多かったですから。ヨーロッパ映画、とくにフランス映画の影響があのころは大きかった。
もちろんアメリカの映画も好きでしたよ、ジョン・カサヴェテス監督とか。デレク・ジャーマン監督はイギリスですか? いま思い出したけど、当時はデレク・ジャーマンの作品も好きでした。彼の映画のミューズだった女優さんで――。
――ティルダ・スウィントンですか?
稲垣 そうそう。このあいだ『アステロイド・シティ』で久々に彼女の姿を観ました。観ながら、デレク・ジャーマンの映画を思い出して、ああ、懐かしいなって。ああいう実験的な映像を当時は観たことがなかったから、すごくショッキングだったんです。そういう監督たちからさらに過去の巨匠たち、例えばジャン=リュック・ゴダール監督の映画だったりをたどっていって、いろいろと衝撃を受けました。
子供の頃、父親の背広を着て楽しんだ『ダーティハリー』ごっこ
――演じる側として、影響を受けた作品や俳優を挙げるとしたらどうですか?
稲垣 カラックスの作品に出ていたジュリエット・ビノシュは、ドキュメンタリーのようにしか見えませんでした。役への乗り移り方がすごくて。生々しすぎましたよね。ドニ・ラヴァンもそうです。海外映画のほうが、よりそういう感覚を持つことが多かったかな。
日本の銀幕のスターに憧れた、ということはあまりなかったです。もちろんすごいと思う方はたくさんいますけど、夢中になった記憶はそれほどない。そもそも自分が演技をしたいと思ったのは、この映画を観たからとか、あの俳優さんに影響されたからとか、そういうことではないんです。小さいころから、なにかになりきるのが好きだったんですよ。
――お父さまの背広を着て、『ダーティハリー』ごっこをしていたんですよね。