去年一月七日、パリで風刺新聞『シャルリ・エブド』をイスラム過激派が襲撃し死傷者が発生したテロ事件は、全世界を震撼させた。この事件後、世界的規模でのイスラム過激派のテロに対する怒りと恐怖が高まった。しかし、トッドは別の見方をする。むしろ、この事件によって露呈したのは、自由・平等・友愛という原則をかなぐり捨てた、反イスラム感情と潜在的な反ユダヤ主義に特徴づけられるフランス人多数派の排外主義だとトッドは考え、シャルリ事件の意味をこう解析する。
〈フランス社会を特徴づける宗教的混乱の中に、次の四つの基本的要素が見られる。
(1)無信仰の一般化
(2)被支配的状況にあるマイノリティの宗教であるイスラム教への敵意
(3)被支配的状況にあるそのグループの内部での反ユダヤ主義の擡頭
(4)その反ユダヤ主義擡頭に対する、支配的世俗社会の相対的無関心
このような文脈においては、次のことが社会学的に、政治的に、人間的に明白だ。すなわち、“イスラム教をフランス社会の中心的問題として指定すれば、フランス人のマジョリティにとってではなく、ユダヤ系の者にとって、身の危険が増大するのが必至である”ということ。〉
「風が吹けば桶屋が儲かる」式の論法であるが、第二次世界大戦後のフランスで封印されていた反ユダヤ主義が再び頭をもたげつつあるという説明には説得力がある。しかも、このようなイスラム恐怖症がフランスにとどまらずドイツを含むヨーロッパ全域に拡大しつつあるのだ。第二次世界大戦後、共産主義の影響が知識人と労働運動に及んでいた頃は、反イスラム主義の拡大の抑止要因になっていたことを自らがフランス共産党員だった時期の経験をまじえてトッドは語る。さらに労働者だけでなく、高等教育を受けた中産階級も排外主義的傾向を示しているとの指摘が興味深い。この情況に対して普遍的価値観としてカトリシズムが積極的役割を果たすという見方をトッドは退ける。もはや神なしに生きていくという世俗主義がフランス全土に及んでいて、文化形態として残っているゾンビ・カトリシズムは、排外主義を強化する機能を果たしているとトッドが見ているからだ。
率直に言って、トッドが描くヨーロッパの未来図は、真っ暗だ。人種主義、反ユダヤ主義、排外主義は、前の戦争でナチズムやファシズムの敗北した結果、消滅したのではなく、眠っていただけに過ぎないのかもしれない。
Emmanuel Todd/フランスの歴史人口学者・家族人類学者。1951年生まれ。著書『帝国以後』(2002)で「米国発の金融危機」を、『文明の接近』(07)で「アラブの春」を予見。昨年出した文春新書『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』はベストセラーに。
さとうまさる/1960年生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。作家・元外務省主任分析官。『国家の罠』など著書多数。