まいった。実におもしろい。売れっ子エコノミストである著者が趣味の食べ歩きについて開陳した、いわゆるグルメオヤジ本かと思ったらさにあらず。食べ好きに新たな視点と勇気、そして覚醒を与えてくれる奥深い本であった。
内容はミル・クレープのように重層的だ。いわゆる食ガイド的なのは表面の一層目。それは予想に反してかなりB級C級グルメ的なのだが、ゆっくりナイフを入れていくと下に幾層もの美味が潜んでいて、読者の脳みその様々な部分を心地よく刺激する。
圧倒的な情熱で世界中を食べ歩き、広い視野を与えてくれる二層目。その国や都市の食の成り立ちを歴史的にひもといて現在に至る必然性を理解させてくれる三層目。経済学的観点から食を地球レベルで俯瞰して別の視点に気づかせてくれる四層目。食の安全問題や環境問題、飢餓問題、遺伝子組み換え食品問題などについての凝り固まった主張に丁寧に反論し、違う側面を教えてくれる五層目。そうして大きく広げた視野をスーパーでの買い物や家庭での毎日の食事に収束させて自分事にしてくれる六層目。
これら六層が章ごとに複雑に重なり合っているのだが、バランスが絶妙なので読んでいる間はそれに気づかない。ほーとかへーとか味わっているうちに読者はいつの間にか食に対する知性的なアプローチの楽しさに気づいていく。先入観から脱して「正しいフレーム」で食を見る必要性を理解していく。そういうスキルを一人ひとりが身に付けることで「世界に文字通り革命を起こすことができる」と著者は説く。そう、この本はカジュアルなグルメ本の体裁を取りながら、「食べ手が変わろう。そして世界を変えよう」と煽ってくる思想書なのだ。
それにしてもこんな風に重層的かつ知性的なアプローチで一食一食を楽しめたらどれだけ楽しいだろう。毎日の食事をもっと楽しむために図書館に籠もって勉強したくなる、そんな一冊。
Tyler Cowen/1962年生まれ。「フォーリン・ポリシー」誌による「世界の思想家トップ100」のひとりに選ばれた経済学者。邦訳著書に『大格差』『インセンティブ』『創造的破壊』などがある。
さとなお(佐藤尚之)/1961年東京都生まれ。コミュニケーション・ディレクター。著書に『極楽おいしい二泊三日』など。