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小田和正の奇襲作戦

 小田が行動に移したのはツアー最終日前日の1980年2月4日。決定したのは3日後の2月7日。かなりの奇襲作戦だった。

 小田は武藤に相談し、武藤は「まかせろ」と言った。武藤の話。

「僕が別のレコーディングをしていた時、小田君がスタジオにやって来て、次にこの曲を出したいんだと訴えたんです。そこで僕は、それを正当化するために、営業の人間と組んで、嘘っぱちのご託を並べて、これを通しました。当時、あの曲をシングルにするというのもすごいことだけど、30年以上たっても、あの歌が歌われる、使われるというのもスゴいよね」

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「生まれ来る子供たちのために」は、不思議な歌だ。小田自らが弾くピアノの伴奏で気高く歌われるこの歌は、まさに「祈り」に聴こえる。

 この歌は、どこから生まれたのだろうか。

ライブでは自転車に乗って熱唱する場面も ©FAR EAST CLUB INC.

自分自身のアンサーソング

 思い浮かぶのは、先に少し触れたが、1974年10月に、小田がシングル候補として作ったが、レコード化されることのなかった「キリストは来ないだろう」である。いまこの曲を聴くことができるのは、その直後に催されたコンサートのライブ盤のみである。「生まれ来る子供たちのために」は、この日の目を見なかった曲に対する小田自身のアンサー曲なのではないか。

 どちらの歌にも、賛美歌が色濃く影を落としていることは明らかだろう。

「生まれ来る子供たちのために」のなかの“あのひと”とは、キリストが思い浮かぶ。同時に、ここに貫かれているのは、若者らしい世界への危機感であり、国の政治への懐疑であり、とりわけ「キリストは来ないだろう」には悔いや絶望感が強い。それが「生まれ来る子供たちのために」では、祈りの歌になっている。

 26歳の歌に対する31歳の返歌。

 バンド音楽を追求している時期でありながら、この曲だけは、例外的にピアノで静かに聴かせる曲であることからも、「こういう歌をつくりたかったんだ」という小田の強い想いが感じられる。2020年の時点で、小田はこんな風に語った。