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小田和正が「自分の歌を聴くのが、しんどくなっちゃってさ」と感じた瞬間とは…激動の2010年代をふりかえる

小田和正が「自分の歌を聴くのが、しんどくなっちゃってさ」と感じた瞬間とは…激動の2010年代をふりかえる

『空と風と時と』#2

2023/11/22

source : ノンフィクション出版

genre : エンタメ, 芸能, 音楽

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 こうして、2011年、小田の全国ツアーは粛々と始まり、10月26日まで、東北地方を除いた地域で行われた。5大ドームも含む25カ所48公演と、大規模なツアーだった。しかもこのツアーから、バイオリン、ビオラ、チェロなどストリングスの面々も全行程帯同することになった。

 どの会場も、驚くほど静かな熱気に覆われていた。

 当時、私は、いくつかの会場で感じた印象を雑誌「AERA」に書いている。少し引用する。

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 今回、ツアーを見てきて、改めて感じるのは、小田和正の歌の力である。その歌がもつ包容力といってもいい。小田の歌は時代の色や匂いを感じさせないと言われてきた。しかし2011年のいま、小田の歌は、なんと心に強く優しく沁みてくることか。時代が小田の歌を必要としている、そんな気がする。四国のイベント会社デュークの宮垣睦男社長は、長野の初日からいくつもの公演を見てきて語る。

「ほとんどのお客さんが涙を流している。それを見て、本人もぐっと感極まってしまってね。たとえば『今日も どこかで』、前回のライブであれほど聴いていたのに、僕には違う曲に聴こえてしまって、この状況にまさにストライクにはまってしまった。すごい曲だねと本人にメールしたんですね。みんなそれぞれにストライクになる言葉があるんですよ。リタイアした人もいっぱいいるし、若い人もいっぱいいる。それぞれに響く歌があるんでしょうね。お客さんの異常な熱気というか、こういうコンサートはあまりないです。

「自己完結」から「人に手渡す音楽」へ

 いつのことだったか忘れたが、「小田和正の歌はどの時代に突出しているか、“時代の歌”になっているか」といった雑談を吉田雅道としたことがあった。私の念頭にはどうしても1970年代の拓郎や陽水がいて、では小田和正の歌は、どの時代にとりわけ必要とされた(る)だろうかと思ったのである。ファンの人にとっては、それはずっとであって、無意味な設問なのは十分承知だが、会場でその時の会話を思い出し、そうか、小田和正は現在、21世紀、2000年を超えてから、さらに一層、人々から、時代から、必要とされているのではないか、そう感じたものだった。

 このツアーが始まる直前の4月20日、小田はアルバム「どーも」を出した。当初は発売も心配されたが、前年からレコーディングが行われ、作業は終わっていた。「どーも」というとぼけたタイトルについて、小田は「俺がステージで叫ぶ時みたいに“どぉ~もーっ!!”って、この一言で、いきなりみんなの懐に入って行けるというかね」と語っている。なにより、〈挨拶する人、渡す人がいてこそ成り立つ言葉〉である。自己表現で完結していた音楽作りから、人に聴いてもらう、人に手渡す音楽へ、まさにそれを象徴する言葉とも言えた。

 同時に、「クリスマスの約束」に挑戦し、多くのミュージシャンと交流し、世界を広げた小田の10年間が凝縮されているアルバムとも言えるだろう。多彩であると同時に、言葉の重みが加わり、聴き応えのあるアルバムである。

 全10曲中、依頼されて作った楽曲は5曲あるが、小田の場合、それはあくまでもきっかけであり、歌には小田の想い、こだわり、表現が色濃く織り込まれている。たとえば、ドラマ「獣医ドリトル」の主題歌である「グッバイ」は、「風」が印象的な、不思議な味わいの歌だ。

「hello hello」は被災した三宅島の少年に語りかけている詞だが、それを超えて訴えかけてくるチカラがある。