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「秋ゆく街で」は、1974年10月26日、まだ二人オフコース時代、当時としては破格に大きな会場となる中野サンプラザホールでの開催を決めた最初の「オフコース・リサイタル」のタイトルであり、この日のために小田が作った楽曲である。約50年前に作った楽曲ながら、小田はその場で瞬時にその詞をスラスラと諳んじた。思い入れの深い歌だとわかる。この「秋ゆく街で」と「東京の空」が、小田のなかでは、繋がっているようだった。

「秋ゆく街で」は、「僕の生き方で もうしばらくは 歩いてゆこう」と、時に挫けそうになる自分を励ましている。そうやって一つ一つ乗り越えて生きてきた地続きに、60歳になる小田がいて、「東京の空」が作られたということだろうか。ときに小田の歌が聴く者の辛さに寄り添っているように感じられるのは、小田自身がその不安や苦しさに向き合い、安易な道を選んでこなかったからかもしれない。

 ちょうどこのころ、ある編集者が小田のファンクラブ会報誌「PRESS」に文章を書いていた。当時、彼女は大病と闘うなかで仕事をしていた。その文章の書き出しはこうだった。

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 小田さんは私の人生を見ている。
 きっとみなさんもそう思うように、私も思った。
 自分のアタマのなかを、日々の出来事を、小田さんは見ているんじゃないか。
 ずうずうしくも、思う。
 こと、人生の転機において。
 「小田さんはなんでも知っている」と。

 辛い時に、そっと見守り、励ましてくれる歌。小田の歌をそう感じる人は多いのだなあ、そう思ったものである。

小田にとっての2010年代

 アルバム「どーも」の中に、すでにシングルになっていた曲が3曲ある。「今日も どこかで」と「さよならは 言わない」「グッバイ」だ。

「今日も どこかで」は「めざましテレビ」(フジテレビ)のテーマソングとして知られるが、同時に小田が2008年のツアーに向けて作った楽曲でもある。「さよならは 言わない」も、2008年のドーム公演を前に作った曲である。

 還暦を迎えた小田が「さよならは 言わない」と歌い、「いちどきりの 短いこの人生 どれだけの人たちと 出会えるんだろう」(「今日も どこかで」)と歌った。この姿勢こそが、60代の小田を貫いていったように思われる。それが小田の2010年代だったといえようか。

 しかもその冒頭に、日本は東日本大震災を経験し、それはさらに小田の心情に拍車をかけた。若いころ、決して好きとは言えなかった「ツアー」だが、〈小田の歌を愛する人々に積極的に「会いに行く」〉、小田の2010年代は、そんな10年になった。

「秋ゆく街で」作詞・作曲:小田和正

〈著者プロフィール〉
追分日出子(おいわけ・ひでこ)
千葉県生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。「カメラ毎日」編集部、週刊誌記者を経て、『昭和史全記録』『戦後50年』『20世紀の記憶(全22巻)』(毎日新聞社)など時代を記録する企画の編集取材に携わる。著書に『自分を生きる人たち』(晶文社)『孤独な祝祭佐々木忠次 バレエとオペラで世界と闘った日本人』(文藝春秋)などがある。最新刊は『空と風と時と 小田和正の世界』(文藝春秋)

空と風と時と 小田和正の世界

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追分 日出子

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2023年11月22日 発売