訪れたのは平日だったが、それでも滝にたどり着くまでに何人もの行楽客とすれ違った。年配のご夫婦やグループから、三脚を据えて滝の写真を撮っている人、比較的若い世代のカップルまで幅広い。東京都心から日帰りで遊びに来れる自然系レジャースポットということで、檜原村も結構人気があるようだ。
宿泊施設もあるし、キャンプもできる。都心よりはちょっと気温も低く、すでに木々は色づきはじめている。冬になると天然のスケートリンクができるくらいだというからさすがに厳しいが、春から夏、そして秋まではいつでも楽しめる観光地。少なくともいまの檜原村は、そういう位置づけで捉えておけば問題ない。
では、いまはともかく昔はどうだったのだろうか。
観光地・檜原村ができるまで
檜原村の村内からは、縄文時代初期の遺跡も見つかっているという。標高約950m地点の中之平遺跡は、東京都内最高地点にある遺跡だとか。それくらい古くから、人々の営みがあったことは間違いない。奈良時代には朝鮮半島からの渡来人も入植。数馬方面に向かう途中にある「人里」という集落は、朝鮮の古語が由来とする説もあるようだ。
そして、中世になると檜原村にはお城もできた。室町時代の15世紀はじめごろ、鎌倉公方の足利持氏が武蔵七党の西党・日奉平山氏に命じて檜原城を築かせた。どこにあったかというと、村役場前から道が二手に分かれるその付け根。橘橋交差点の西側の裏山が、かつての城跡だ。
檜原城は平山氏代々が入り、戦国時代には北条氏の家臣となって武田信玄の関東侵攻を抑える役割を担っていた。
江戸時代に入ると甲州街道と青梅街道が江戸と甲州を結ぶ大動脈として整備されたが、それ以前は檜原村を抜けてゆく道筋がメインルートになっていたという。だから、武田が攻めてくるとすればまずは檜原村経由。平山氏の入った檜原城は、なかなか重要な城だったにちがいない。