元婚約者の臼田に対して、松下が投げかける言葉もあまりに辛らつだ。
「話すの、しんどいなって思ってた」「俺じゃなくてもいい人」「僕が聞かなくてもいい話ばっかり」「他の誰かと幸せになってください」
酔った勢いでも興奮で口が滑ったわけでもなく、冷静に一言一言かみしめるように本音として投げかけられる、人格丸ごと否定するような逃げ場のない強い強い拒絶の言葉である。
コミュニケーション下手で「生きづらい」「繊細な」人々は、自信のなさゆえに意識が自分に向きがちで「なぜ自分は~」と堂々巡りに入ってしまうことが多い。『すき花』の4人も同じだ。
しかし彼らはひとたび思い切ると、異様に強い言葉を発するようになる。ときには他者に対して恐ろしく冷たく、自己愛と自己顕示欲がむき出しになる。
「多数派の陽キャ」を敵視したくなる気持ちはよくわかるが…
この描写は確かにリアルだし、距離感が極端になってしまう瞬間というのは実際に多くの人が体験することでもあると思う。
しかしドラマの中では、臼田あさ美のような「多数派の陽キャ」をはっきり拒絶することが、まるで「自分を救う・解放する良いこと、共感できること」のように描写されている。
いつも教室の中心で大きな声で喋り、笑い、上手に2人組を作っているように見える人を敵視する気持ちはよくわかる。SNSで共感されやすいのも確かだろう。
しかしその人たちをここまで悪しざまに描いてしまっては、それはもはや偏見が逆転しただけではないか。
近年は『チェリまほ(30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい)』のように、様々な人の表面からは見えない悩み、社交的な陽キャにも見える人の苦しみを描くドラマも増えてきただけに、「繊細な人々」が陽キャたちを悪役として断罪する『すき花』は一周回って攻撃的にも見えてしまう可能性がある。
そのあたりに、このドラマの「絶賛派」と「苦手派」の分かり合えない溝がある気がしてならない。