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 巌流島を終えた猪木はこう語る。

《巌流島で離婚のストレスから少し解放されたのか、死のうという気はもうなくなっていた。》(猪木自伝)

試合前に借金取りから電話が

 リングの上も外も、私生活もなんでもプロレスに叩き込んでしまう猪木。猪木の試合には「これは一体なんだ?」と観客がまったく解釈できない試合が少なくない。「???」が発生する試合がある。そうなると見てる側はさらに理解したくなる。

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 まるで名画に込められたテーマや意図や、その技巧を解釈したいと思うように、ファンは猪木の試合も解釈したいのだ。しかし簡単に解釈させてくれないのが猪木なのである。リアルタイムでは目の前で起きていることがわからない。だから何度でも見る。するとあらためて気づくのだ、ゴールデンタイムのテレビで、暗闇の島でよだれを垂らしながら人を殴っている男がいることに。視聴者は様子がおかしい猪木をただ見つめるしかない。「???」を抱えながら。

 猪木は自伝で、借金取りに追われていた頃の試合前の気持ちも告白している。控室で今日こそはいい試合をしてやろうと気合を入れていると電話がかかってくる。

《電話を取ると、案の定、手形が落ちていないとか、振り込まれていないという用件だ。せっかくの気合は一瞬にして萎み、膝の力がガクンと抜けてしまう。落ち込んだ状態で控室に戻り、自分の試合までの時間、じっと座ってあれこれ悩んでいる。周りが何を言っても上の空だ。》

「アントニオ猪木の相手としてできる奴は俺しかいない」

 しかし、時間が来るとリングに上がらなければならない。

《うまくしたもので、そのときはスイッチが切り替わるのである。落ち込んでいた反動で、リング上の敵を徹底的にぶちのめす。終わって戻ると、また電話だ。》

 なんという精神状態であろう。しかしこうも言えないか。猪木はリング上だけが自由だったのではないか? 常人ではわからない、まれに見る精神状態と現実こそ、リングでは狂おしいほどの理解不能なアントニオ猪木の世界を生んだのではないか?

 後年、マサ斎藤は巌流島の決闘をこう語っている。

《アントニオ猪木の相手としてできる奴なんかいないじゃん。俺しかいないんだよ。それをアントニオ猪木が見抜いて、俺を選んだ。2時間5分も戦える奴がいるなら出て来りゃいいんだ

 けど、俺しかできない。アントニオ猪木も俺も……お互いが鬱憤をリングの上でぶつけ合って、その結果がああいうことになった》(『Gスピリッツ』40号)

 以前に、勝負事(博打)にハマっていた人の話を聞いたことがある。借金をつくって酷い毎日だったが、博打をやっているときだけは現実逃避できたという。猪木もその心境に近かったのではないか。もっとも猪木の博打はプロレスとビジネスの二つもあったことが特殊だったのだが。