「俺とマサしかできない」試合カードをチェンジ

 元新日本プロレス社員の上井文彦氏は2019年にスポーツ報知の取材に次のように語っている。山口県下関市出身の上井が巡業中に地元の山へ関係者を案内すると、展望台に登って双眼鏡で見ていた藤波が「あそこ巌流島だよね。あそこで俺と長州がやったらおもしろいよね」と言ったのが始まりだったという。噂は本当だったのだ。そのあとの流れはこうだ。

藤波辰爾 ©文藝春秋

《7月になって当時営業部長の倍賞鉄夫さん(故人)から「10月のクールが変わるときに、テレビ朝日のスペシャル番組がとれるから、何かアイデアあるか」と聞かれた。上井氏が「10月5日に後楽園ホールをおさえてあるので、それと同じ日に巌流島と二元中継すればいいじゃないですか」と提案すると「それは面白い」となって、倍賞さんがテレビ朝日と交渉。約一週間後に「スペシャルで巌流島決まったぞ」と言われた。》(スポーツ報知)

 しかし肝心の試合カードは変わっていた。藤波対長州ではなくアントニオ猪木対マサ斎藤になっていたのだ。

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《猪木会長が「そういう戦いは、まだあの2人にはできない。俺とマサしかできない」と言ったという。「すり替わったんですよ。テレビ朝日もやっぱり猪木と斎藤がいいという。人生をかけたいろんなストーリーがあるから、レスラーとしての当時の重みが違いますからね」》(同前)

猪木を襲った複数の不幸

 猪木がまんまと藤波のアイディアを拝借した形になるが、しかしハッとする。「無人の巌流島でなぜわざわざ闘う?」という疑問があったのだけど、そこにテレビカメラが入れば「素晴らしい画」になる。特番の企画として申し分ない。テレ朝はより数字が取れそうな猪木vs斎藤案に乗った。プロレスはテレビコンテンツでもあるという事実を再確認させてくれる逸話である。

©文藝春秋

 そして巌流島決戦で重要なのは「人生をかけたいろんなストーリーがあるから」という上井の言葉だ。実はこのときの猪木は、人生でどん底だったのである。猪木を複合的な不幸が襲っていたのだ。まずビジネスの失敗による億単位の借金地獄。それに加えてパートナーの倍賞美津子さんとの離婚の話が同時に進んでいた。猪木は年齢的な衰えだけでなく精神状態もひどく、この頃の状況を振り返る「猪木自伝」はとんでもないことになっている。

《私は自殺しようと思った。》

《借金地獄に家族だけは巻き込みたくなかった。》

《私は掛け捨て保険に入ろうと思った。私が死ぬことで解決できるなら、死ねばいい。自分の中で離婚の覚悟はできたが、それが公になることは耐え難かった。》