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コロナ禍で巌流島の闘いが改めて注目されることに

 そう考えると、プロレスだけに専念しますと、もし猪木が言っていたとしたら、上品すぎて猪木らしくなくなっていたかもしれない。たくさんの山っ気とノイズがあったほうが猪木らしさを生んでいた。あちこち向いているけど今日の猪木はリングに集中しているぞと思える瞬間が私はうれしかった。やはりこんなレスラーは猪木しかいない。近づいたら危険だが遠くから見ている分にはたまらない存在なのである。

 この昭和の末に行われた巌流島の闘いは、そんな昔の話もあったよねという懐古案件ではない。現代にも繋がっている。なぜなら「無観客試合」であったからだ。この試合モデルが2020年からのコロナ禍であらためて注目されたのである。

©文藝春秋

 プロレスライターの斎藤文彦さんは海外取材経験も長くてレスラーや関係者とも交流が深い方なのだが、巌流島の「無観客試合」について海外の著名レスラーから斎藤さんに問い合わせが相次いだという。無観客でも配信(放送)さえあればやり方次第で興行は成り立つ。先見の明がありすぎた巌流島決戦。

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 当時は観客がいない状態でどう収益を上げたか? 実際このときも試合を計画した上井は「客を入れないでやるのか。興行会社が無料でやるイベントなんて聞いたことない」と上司に叱責されたという、しかし……。

《ある巡業中に、タイヤメーカーののぼりがはためいてたことにヒントを得た。「大相撲の幟はスポンサーで持っているよなと思って、1本10万円で売ったんです。130本売ることができて1300万円。全部の経費が1160万円だったですから、普通に140万円の黒字になったんです」》(スポーツ報知)

人間の奇妙さ、切なさ、愛おしさを猪木を通じて学べた

 巌流島のリングの周囲に、スポンサーののぼりを立てて黒字にしたのである。無観客の巌流島が黒字だったなんて。さらに放映権も入ってくる。発想があればピンチも乗り越えられる。猪木はガチな感情をリングにぶつけつつ、興行としても成立させてしまった。

 昭和の伝説の決闘は、令和のコロナ禍にあるプロスポーツやエンタメビジネスにもヒントを与えたのである。

 さてここまで、80年代の猪木の奇妙な試合について書いてきた。私は80年代以降の、つまりベテランとなったアントニオ猪木を主に見てきた世代だ。だから60~70年代の若くてアスリートとしても絶頂時の猪木をリアルタイムで見られた世代の方がうらやましかった。

 しかし今あらためて思うのだ。避けようにも避けられず、必然と人生の影も落ちるようになった時代の猪木を多感な時期に見れたことは、よかったのではないかと。猪木を通じて人間の業の深さや、現実と向き合わざるを得ない人間の生きる姿を見たことは財産だと思う。プロレスラーという枠を超え、人間の奇妙さ、切なさ、愛おしさを猪木を通じて学べたのである。