〈算砂よ、いったい、秀吉は誰に毒を盛られたのじゃ〉
大坂の陣前夜、徳川家康は、当代一の囲碁名人・本因坊算砂(さんさ)に詰め寄る。豊臣秀吉は死んだ時、右手に那智黒の碁石を握っていた、「太閤殺しは本因坊に聞け」と聞いた、などと言い添えて。動揺する算砂。太閤殺しの真相、それは――。
「算砂は、囲碁の家元の一つである本因坊家の開祖で、もとは日海という僧侶でした。彼は、織田信長に名人と称され、本能寺の変前日に信長に招かれて茶会に参加、信長死後は秀吉、家康に仕えます。そう、3人の天下人の身近にいたという稀有な人物。その事績はほとんど伝わっていませんが、彼を語り手にすれば、天下人とその時代を映す鏡になると考えました」
そう語るのは「鬼役」シリーズなど人気時代小説で知られる坂岡真さん。算砂を主人公に本能寺の変と信長の死の真相を描いた(『本能寺異聞 信長と本因坊』)。それで終わりと考えていたが、続いて天下人に駆け上がっていく秀吉と算砂の関係を描きたくなった。
「秀吉は、本能寺の前と後で別人のように変貌します。当時の人の評価も変わったでしょう。今では秀吉が好かれるのは本能寺以前の立身出世物語まで。それから死ぬまでの16年間を描いた作品は少ないのでは」
秀吉の庇護もあり、算砂は、「囲碁坊主」として貴賤上下問わず対局を望まれるようになる。〈手談とも称される囲碁は、今や公家や武家が習得すべき嗜みのひとつである。(略)名人の称号を得た日海は引く手数多。対局のたびに望まずとも、極秘の情報や対手の考えを聞かされる立場にあった〉。
「秀吉には諜報活動の尖兵となることを期待されたはずですが、それが露見すれば途端に首を切られてしまうので、算砂は黙して語らず、常に緊張感をもって、ただ静かに盤に石を置く。算砂の目を通すと、秀吉や家康、近衛家から、果ては市井の人々、石川五右衛門まで様々な思惑が錯綜する激動の時代が際立ってくる」
秀吉の統一事業は進む。九州征伐、小田原征伐と敵対する大名を屈服させ、見るも壮麗な大坂城、聚楽第、大仏殿を次々と建造。京都の町割りも行った。だが強すぎる光には影ができる。
「当初こそ秀吉の国作りのやり方に共感して、力を貸した民衆も、終わらない戦争と負担に反感を抱くようになる。五右衛門が頭の〈トリデ〉には、武士でも農民でもない、身分定かでない人や犯罪者が集まり、そういう人たちに秀吉は次第に追い詰められていきます」
やがて秀吉は唐入りを命じる。〈何故に、智に長けた多くの武将たちが秀吉に抗おうとせぬのか〉〈唐入りを是とする人々の変わり様に〉算砂は疑問を抱く。
「秀吉ひとりの老害と片づけてしまうのは容易いですが、権力者の暴走を誰も止めず、盲従してしまい、犠牲も顧みずに戦争を強行してしまう、そうした権力体そのものの腐敗こそを、いま考え直さないとならないのではないでしょうか。争いの絶えない世界情勢を見ると、秀吉に学ぶことはまだ多いのではと思います」
算砂は、市井の人々に関わるうちに、葛藤を抱えるようになる。秀吉に呼ばれ、対局へと臨むのだが、息詰まる盤上の攻防は終盤の見どころだ。
「実は秀吉と算砂の対局だという棋譜が残されているんです。おそらく後世に創作され、史料的価値はないものかもしれませんが、ふたりの碁を再現できるかもしれない。そこからどう人間模様を描き出すか。あり得るかもしれないというリアリティをもった歴史小説を書いていきたいですね」
さかおかしん/1961年新潟県生まれ。「鬼役」「鬼役伝」「はぐれ又兵衛例繰控」で日本歴史時代作家協会賞文庫書き下ろしシリーズ賞を受賞。著書に「うぽっぽ同心十手綴り」「照れ降れ長屋風聞帖」「火盗改しノ字組」「死ぬがよく候」などシリーズ作品のほか、『一分』『本能寺異聞 信長と本因坊』などがある。