『宙わたる教室』(伊与原新 著)文藝春秋

「大学院時代にお世話になった教授から、『この間、学会の高校生セッションで面白い発表があったよ』と定時制高校の科学部のことを聞いたんです。調べてみると、メンバーの年齢も雰囲気もバラバラで、研究内容も面白くて、まるで小説のよう。いつかこの科学部の活動を題材に、小説を書きたいと思いました」

 伊与原新さんがこう語るように、『宙(そら)わたる教室』は、夜に授業が行われる定時制高校が舞台だ。

 中学の頃から不良グループとつるんでいた柳田岳人は、今は仕事をしながら定時制高校に通っているが、授業についていけず退学を考えていた。そんな時、教師の藤竹から「科学部を作るので入らないか」と誘われる。さらに、フィリピン料理店を営む40代のアンジェラ、保健室登校をしている佳純、集団就職しそのまま働いてきた70代の長嶺が、藤竹の声掛けによって科学部に加わっていく。

ADVERTISEMENT

「定時制のことを調べると、年齢も国籍も背景も全然違う人たちが集まっていて、そこが全日制とは違うおもしろいところだと感じました。今の教育はどうしても均質化する方向にありますよね。学力ごとに学校が分かれ、おのずと同じような家庭環境の人が集まって青春時代を過ごす。そういう場所では生まれないものもあると思うんです」

 一方で、悪い仲間との付き合いや複雑な家庭環境、一度ドロップアウトした者への偏見など、学ぶことが簡単ではない状況も描かれる。それでも彼らは科学部の活動を通じ、自分のやりたいことを諦めなくてもいい、夢を抱いてもいいと思えるようになっていく。

「学校で勉強することが当たり前ではなく、いろんな事情で学びたくても学べない人がいるということをあらためて感じました。そういう人たちを、ここで描いた科学部のような活動で全て救えるほど生易しくないとも思います。実際に、定時制では辞めていく生徒も多いそうです。それでも、自分で前に進もうとし、“その気”になれる場所があることが大切なんだと思います」

伊与原新さん

 科学部が挑むのは火星のクレーターを再現するという実験だ。そのためには、教室に「火星を作る」必要がある。時に衝突もしながら、実験装置を一から手作りし、アイディアを出し合い、試行錯誤を繰り返す。そんな部員たちに藤竹は、実験結果を学会で発表しようと提案する。謎の多い藤竹だが、彼自身も何か企みがある様子。藤竹が密かに立てたある“仮説”とは――。

 執筆中に、本作の着想を得た科学部を指導する久好圭治先生にも会うことができたという。

「また学会で高校生のポスター発表があるというので見学に行ったら、久好先生がいらっしゃったので、思い切ってご挨拶しました。先生に『今は通信制もあるのに、定時制に通うのはなぜだと思いますか』と伺うと、『やっぱり、学校に行きたいからだと思う』という答えが返ってきました。何らかの理由で全日制には行けないけれど、それでも学校に行きたい。その気持ちに、何か手を差し伸べるためのヒントもあるような気がします」

 自身ももとは地球惑星物理学の研究者で、科学を題材にした小説を書いてきた。

「科学はどこか冷たくて非人間的なものと思われがちですが、そんなことはありません。何かを知りたい、明らかにしたいというのは人間の根源的な欲望の一つだと思いますし、実験や研究だって人の営みです。そういう意味で、科学ってとても人間臭い活動だと思っています」

いよはらしん/1972年、大阪生まれ。神戸大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻。2010年『お台場アイランドベイビー』で横溝正史ミステリ大賞受賞。19年『月まで三キロ』で新田次郎文学賞受賞。