なぜ人は自殺をするのか。他人はおろか、当人すらその理由はわからないのかもしれない。春日武彦さんは精神科医として30年以上にわたり臨床に携わってきたが、「自殺を遂げた人は20名を超える」という。
「自分の患者が次々と自殺していくわけですよ。前兆なんて示した者はいなくて、そのたびに『お前、なんで自殺したんだ』と思う。どこか自分なりに考えたことを言っておかないと、申し訳ないような気がしていたんですね」
『自殺帳』では自殺について、春日さんがこれまで担当した患者、社会的な事件として大きく報じられたものやそうではないもの、遺書、文学作品等々から思索が巡らされる。タイトルにも含意がある。自殺「学」ではない、自殺「帳」だ。
「世にある『自殺学』的なものって、大概的外れなわけです。およそ核心には触れておらず、変な優しさみたいなところでまとめている。そういうものには、少しムカつきますよね」
したがって本書では、自殺者を哀れみ、家族に同情し、自殺のない社会を希求する的な議論はなされない。下世話な好奇心やゲスな興味を肯定し、〈我々が自殺に対して(腹の底でひそかに)感じたり思う「ろくでもない」部分に重点を置いて筆を進めていく〉。
「例えばドーナツの穴について考える時、穴そのものを扱うことはできないけれど、その周囲を考えることはできますよね。自殺について考える時も、自殺の核心なんて永遠にわからないだろうな、という前提がまずあるわけです。その上で私たちは、自殺したのは失恋したせいだとか、主義主張があってのことだとか、色々なことを考える。そうしたろくでもない想像を並べ立てて、これを読めば全部載っているというようにしたかったんです」
本書は、美学・哲学に殉じた自殺、虚無の果てに生ずる自殺、気の迷いや衝動としての自殺……と、自殺を7つの型に分けてみせる。話題も、古雑誌『月光――LUNA』の自殺特集、「巌頭之感」で知られる藤村操、「朝倉少年祖母殺害事件」等々多岐にわたる。そして美学・哲学に殉じた自殺などは〈山海経に載っている怪物に近い「いかがわしげな存在」と見なしておいたほうが適切でありそうに思えるのである〉と結論づけたりもする。
「基本的に、僕の性格はコレクターなんです。関係ないように見えるところから意外なものを持ってきて、組み合わせて、けたぐりを入れるのが好きですね(笑)」
春日さんの探求は、7つの分類には収まらない「自殺体質ないしは自殺親和性」に行き付く。自身が担当した、無意識的に自傷行為を繰り返すとある患者について語られる。
「自殺を7つの型に分類した後、どうすればいいか、いまいち自分でもわからなくて。それでしばらく執筆も中断していたのですが、ふと彼のことを鮮明に思い出したんです。彼には自殺体質とでも言うべき精神が宿っていたのではないか、彼自身それをうっすらと自覚し、抗っていたのではないか。やっぱり彼のことは書かないとダメだ、と。
また、彼はスポンサー名入りボールペン蒐集を趣味としていて、死後、膨大な数のそれが残ったんです。そうした、シリアスだけれども、ユーモラスな部分がついて回るのも、人間の営みだと思うんです。こういう中途半端なスタンスの本だからこそ、身の周りの人が自殺したときの、あの、ざらりとした嫌な感じだったり、ある種のユーモアも取りこぼさずに書けたらという思いもありましたね」
かすがたけひこ/1951年、京都府生まれ。日本医科大学卒業。医学博士。精神科医。都立松沢病院精神科部長、都立墨東病院神経科部長、多摩中央病院院長、成仁病院院長などを歴任。現在も臨床に携わる。甲殻類恐怖症で猫好き。主な著書に『不幸になりたがる人たち』『無意味なものと不気味なもの』『奇想版 精神医学事典』『鬱屈精神科医、占いにすがる』ほか多数。