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家族の描き方が活動の中で変化したワケ

アフロ 家族は「絆」と「鎖」っていう、この2つのワードですね。でも「鎖」って、別に嫌な意味だけではない気がするというか。どこにも行かない、行けないようにしてくれてるし、帰れるようにしてくれているしっていう意味合いでも鎖だなって。

――それでいえば、映画で演じるアキラは、優しさからではあるんですが、家族という「鎖」に縛られている。MOROHAもこれまで家族について歌ってきていますが、初期の曲と最近作られた「ネクター」では描かれ方が大きく違いますね。家族の描き方がMOROHAとしての活動の中で変わっていったのはどうしてなんですか。

アフロ 初期は願望だったところがあって。全部嘘ではないんですけど、それこそ初期の「恩学」って曲では、すごくいい家族として歌っているんだけど、実は一番うちの家族がバラバラになっちゃっている、ほつれ始めた時だったんですよね。それに対する願い、悪い言い方すると皮肉を書いてやろうみたいな気持もあって。

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©佐藤亘/文藝春秋

本当に近しい人を完全に悪者にする歌は容易じゃない

「いつも優しい じいちゃん ばあちゃん」って俺、歌ってるんですよ。この曲を家族が聴いてどう思うかねって。あの時からじいちゃんは酒を飲むとやばかったし、だから大嘘ぶっこいてるんだけど、でも「いつも優しい」って俺が言った時にじいちゃんが「いや、俺はいつも優しくできてないな」って思い改めることがあるかなって。

「どうして?」 こんなにも綺麗な液体が 人を濁らせ壊してしまうのだろう?
穏やかな爺ちゃんを化け物に変える

「ネクター」から

「ネクター」のときには時を経て、リアルな部分、しんどい部分をそのまま出しても自分自身が耐えられる強度になったというか。あと、じいちゃんが亡くなったってのはやっぱりあって。でも亡くなった時に、完全にじいちゃんを悪者にせずに歌詞を書けるところまできたんですよ。

 本当に近しい人を完全に悪者にする歌って、やっぱ容易じゃない。ずっと歌っていくのは俺だし。けど、ようやく悪い部分を書いても、最後にちゃんと掬い上げられるような技量と思いが生まれたから書けたというのはあるかもしれないですね。