駅もなくバス停もはるか遠い山の中…岡山県・第13戦車中隊 日本原駐屯地
所変わって、今度は岡山県、あの津山事件で有名な津山市から目と鼻の先、津山市と鳥取県にはさまれた、草深い山中に控えるは第13戦車中隊の74式戦車である。砲塔側面に描かれた「三ツ矢」は地元武将毛利元就の故事にちなんだ。しかしここ日本原駐屯地に配備された戦車も本年度で退役するばかりか、戦車中隊そのものが廃止されてしまうのである。そしてその替わりとなるべくここ日本原に配備されていた16式機動戦闘車もまもなくここ日本原でなく、島根県の出雲駐屯地の偵察戦闘大隊に編入されるので、日本原は戦車もMCVもいない特科(砲兵)部隊専門の駐屯地に変わりつつあるのである。必然戦車も見納めと、これまた多くの市民が駆けつけることになったが、町中にある守山駐屯地と違い、ここ日本原は近所に駅もバス停もなーんもない山の中である。
駐屯地までの一本道は駐屯地創設58周年記念行事にやってきた県内外からの市民のマイカーで朝早くから年に数回の頻度の渋滞にまきこまれたが、それでも午前8時の開門と同時に、先着300名という74式戦車体験試乗券を求めダッシュで市民が押しかけ、わずか15分で、プラチナ・チケット(体験試乗券)はソールド・アウト(配布終了)となった。ここ日本原駐屯地での訓練展示や体験試乗では守山駐屯地よりはるかに広いグラウンドや田園地帯を轟音と砂塵を巻き上げて疾走する74式戦車がまるでここが岡山ならぬアルデンヌの森を彷彿とさせるのであった。しかしこの勇姿が見れるのも、この戦車に乗れるのもこの日が最後と知って、うれしいやら悲しいやら、老若男女、皆複雑な表情を見せるのであった。
しかし、すでに74式戦車の全車退役は決定事項である。強力な兵器でもある戦車はそのまま中古市場に流すわけにはいかぬ。一部の程度のいいのは博物館で展示されるため、それでも射撃機能やエンジンは取り外されるが、それ以外は砲身を切り落とされ、バラバラに解体される。繰り返すがこの74式戦車は半世紀にわたって我らが国土を守り続けたのである。
我が国の有事に人知れず活躍してきた「74式戦車」
非公式ではあるが、1995年3月の「地下鉄サリン事件」やそれ以前から無差別大量殺人テロ事件を引き起こしていたオウム真理教の山梨県の教団施設への強制捜査では教団がやけになり、強力な神経ガス、「サリン」をばらまく事態に備え、この74式戦車が富士山裾野で実際に配備されていたのは周知の事実である。また2011年3月、東日本大震災発生直後の東京電力福島第1原子力発電所での原子炉火災事故でも実際この74式戦車は出動している。あの津波に襲われ瓦礫の山と化した事故現場を乗り越えて行くにはやはり鋼鉄の履帯で進む戦車であろうという理由だけからではない。戦車はじつは密閉性にすぐれさらに与圧装置も備わる為、NBC兵器すべてに対応できる事もあまり知られていない。かように我が国の有事に人知れず活躍してきたのである。だからこそ、この純国産戦車をすべてつぶしてしまうのはあまりに惜しいやないか。モスクワ赤の広場やノルマンディー上陸作戦の戦勝記念パレードでは戦後70年以上たったいまでもT-34やM4「シャーマン」戦車が誇らしげに走りまわっている。変わって我が国はそんな国産愛国戦車に何の敬意もはらわんのか? 官僚主義極まりやないか。