抜けるような青空の下、やってきました木更津へ。

 木更津はなにも「木更津キャッツアイ」の舞台になっただけやないでぇ。不肖・宮嶋、ここ陸上自衛隊木更津駐屯地に日の丸オスプレイが配備されてから何度アクアラインをくぐりぬけ足を運んだことであろう。

 そのたんびに駐屯地外からV-22オスプレイを超望遠レンズを通し覗きこんでは「嗚呼、エプロンで間近で見たい」と嘆くだけやったのである。しかし今日は堂々と正門から入れるのである。10月1日は木更津駐屯地創立55周年記念、コロナ禍のせいで4年振りの一般公開、フルプログラムでは5年振り、さらにここ木更津にオスプレイが配備されてからは初めての航空祭である。

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©宮嶋茂樹

 そりゃあ盛り上がらんわけないやろ。

 午前8時、予想より多い人出のため30分繰り上げて開門された……とたん、行列先頭集団がラグビーW杯なみのダッシュである。そうである。マニアは見物、撮影のベスト・ポジションをすでに熟知しているため、そこを目指し一心不乱である。そしてエプロン入り口では鉢巻キリリと締め、ハッピを背負った隊員や彼らが打ち鳴らす太鼓の響きと、オスプレイのコスプレ戦隊ヒーロー隊員「くまたか」に迎えられ、いよいよテンションは上がる。

©宮嶋茂樹

 そして広大なエプロンで我々を待ち受けていたのはこの駐屯地の輸送航空隊に一時配備された4機のV-22オスプレイであった。もうこれだけでちびりそうである。不肖・宮嶋もこのオスプレイには10回以上乗ったが、全部アメリカで米海兵隊のオスプレイだった。この日の丸オスプレイをこないな近くで拝めるとは、ありがたい、ありがたい限りである。

 しかし残念な一面もあった。開会セレモニーで挨拶を行った第1ヘリ団長兼木更津駐屯地指令廣瀬敏彦陸将補はまずこの4月6日、第8師団長就任直後に宮古島沖で殉職された坂本雄一陸将(当時)他9名の自衛隊員の冥福を祈った。その際坂本師団長らが搭乗していたUH-60JAヘリ、通称ブラック・ホークはこの記念すべき日に空を飛ぶ勇姿を見せることはなかった。