2021年1月。寄る辺ないシングルマザーの柿本知香(32)は、息子の歩夢くん(死亡時5)を連れ、石井陽子(56)と丹羽洋樹(36)が住む埼玉県本庄市の一軒家に転がり込んだ。 その直後から“躾”の名を借りた虐待が始まった。
1年後の2022年1月18日、歩夢くんは壮絶な虐待の果てにこの世を去る。その亡骸は、3人の大人たちの手で家の床下の土中に埋められた。
傷害致死、死体遺棄などの罪に問われた3被告のうち、知香と丹羽は今年9月、さいたま地裁からそれぞれ懲役10年、同12年の有罪判決を言い渡された(ともに控訴中)。目下、主犯と目される石井の裁判員裁判が続いている。
知香は11月9日、石井の裁判に証人として出廷。実母はなぜ我が子を“赤の他人”とともに虐待死させたのか――。
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主体性がなく、流されやすい知香
再び地裁法廷に立った知香の証言は、流されやすく、主体性に乏しい性格をあらためて浮き彫りにした。
知香がSNSを通じて歩夢くんの父親となる男性(以下、夫)と知り合ったのは、2014年、23歳の時。その頃、知香は大阪府内の実家で両親、姉らと暮らしていた。埼玉県本庄市に住む夫とは、知り合って1、2カ月が過ぎた頃から遠距離恋愛の関係に発展した。2015年3月、知香が本庄市に遊びに行った際、夫は「結婚したい。実家に挨拶に行きたい」と言い出し、そのまま帰阪する知香に同行した。
交際が始まって約3カ月しか経っていなかった。知香の家族は「交際期間が短いし、まだ早いんじゃないか」と、性急な結婚には反対。ところが、本庄に引き上げる夫を最寄り駅まで見送りに出た知香は、そのまま駆け落ち同然に大阪を離れてしまうのだ。
「私は家に帰ると言ったのですが、何度も『ついてきてくれ』と言われて。あまりにもしつこくて、断り切れなくなり、もういいやと思って、財布と携帯電話くらいしか持っていなかったのですが、本庄までついていきました」(法廷の知香証言)
実家に無断で消息を絶った知香。その身を案じた家族は、警察に捜索願を届け出た。数日後、知香は母親に連絡をし、「本庄にいる。無事だから大丈夫」と伝えたが、身勝手な行動に、特に姉の怒りは凄まじかった。
「親が死んでも帰って来るな!」
知香は夫のDVから逃れ、避難した
本庄市で夫と暮らし始めた知香は2015年4月に入籍。だが、ほどなく夫のDVが始まった。
「殴られたり、蹴られたり、物を投げられたり、作ったご飯をぶちまけられたり。言葉の暴力もありました。お互い働いてはいましたが、夫はお金をパチンコなどに使ってしまう癖があって、生活はとても厳しい状態でした。給料を前借したり、消費者金融からお金を借りたりもしていました」(知香)
2016年8月、歩夢くんが誕生しても、夫のDVが収まることはなかった。夫は歩夢くんに手を上げることはなかったが、我が子の目の前で知香に暴力を振るうこともあったという。
2020年7月のある日も夫が暴れ出し、知香はついに警察に通報する。避難するように言われ、夫の元から逃げ出したのだ。
「何度も離婚したいと思いましたが、行く場所もなく、お金もありませんでした。同じ理由で別居もできませんでした」(知香)