オンライン会議から数日後の昼、私はユズとファミリーレストランで向き合った。前日から、ユズはある女性支援団体がシェルターとして使うマンションの一室に寝泊まりし、翌日にはそのスタッフに付き添われて郷里に帰ることになっていた。会って話をするのは、最後かもしれない。だから私は尋ねた。妊娠のこと、生まれてくる子どものこと、そして障害のことを。
食べ終わったナタデココの器を置き、彼女はぽつぽつと話をし始めた。
「別に実家は嫌じゃない。お母さんも……2人でしゃべってる時はいいんだけど、あんなふうにみんながいると、なんかイラっとしちゃうだけでさ。でも地元は嫌だ。小さな町だからとか、映画館やデパートがないからじゃない。いる時から嫌だった。帰ったときも外に出ないもん」
自分が決して明かさなかった障害のことを口にした母親に、ずっと怒っていた。
「知的(障害)っていうのも、そんなん別に言わなくたっていいじゃん。お母さんも(オンライン会議で)余計なこと勝手に言うから」
ユズの故郷は、本当に小さな町だ。病院や役所、ショッピングセンター。どこに行っても、すぐに知り合いと会うだろう。そして、障害があることを知っている人たちがいた。病院にも役所にも記録が残っていて、目の前の人が知っているかもしれない。それがどうしようもなく嫌だとユズは言った。
「障害がある子だっていうふうに見られるのが嫌なの」
誰にも知られたくなかった
かつて故郷でどんな経験をしたのか、彼女は言いよどんだ。「バカにされたことがあるんだよね。そういう人がいるんだ」とだけ言った。だが、知的障害の程度によっては障害年金が毎月、何万円か支給される。公共料金が一部減免されたり、税金の優遇措置を受けられたりもする。療育手帳をもう一度取得するつもりはないのか、改めて尋ねてみた。
ユズは黙って首を振った。
「誰にも知られたくなかったっていうこと?」と聞くと、そうだと言った。東京で暮らした3年以上もの間、自分に障害があったことは誰も知らなかった。「相棒」と呼び合ったサユリも、ネットカフェで一緒に暮らしたモモも、客の男たちも、一人として。
「だって、別にそれでも普通に接してくれるじゃん。誰にも聞かれたことなかったし。なんでそんなの自分から言わなきゃいけないの?」
売春をする女性の中には、自分の知的障害を隠さない人もいる。精神疾患や精神障害、身体的な病気や障害がある女性もいるし、ヘルプマークを鞄にぶら下げている女の子を見かけることもある。
でもユズは違った。「自分で言ってる子もいるけど、そうすると、「あの子、やっぱりそうなんだ」ってなっちゃうじゃん。ダメな子だって思われたり、引いて見られたり」と語気を強めた。