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 物憂げな表情で雨脚を見つめている黒綿棒に聞く。

「ここにいればまず問題ないのだけど、2年前の台風には太刀打ちできなかった。普段は追い出されるけれど、屋根のある都庁の敷地内にホームレスがみんな逃げ込んだんだ。次の日の早朝になると“ほら、早く出ろ”とかなりぞんざいに追い出されたけど」

 2019年の台風19号のことである。この台風では多摩川に住むホームレスの男性が一人、濁流にのみ込まれて亡くなっている。

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ホームレス人生「最大の危機」とは

「やっぱり台風19号が最大の危機でしたか? 2年もホームレスをやっていたら大変なことがいっぱいありそうですが」

「いや、一度ホームレスを辞めようと思ったくらいの出来事があったんだ。それがこの2年間での最大の危機だったね」

 ある日、新宿中央公園の周りをウロついていた黒綿棒は植込みの上に無造作にピザが置きざりになっているのを見つけた。横にはサイドメニューのフライドチキンもある。誰かの忘れ物だと思い、まずはチキンから食べていると、「それ俺のピザなんだけど」と若い兄ちゃんに後ろから声を掛けられた。しどろもどろになっていると兄ちゃんは、「なんならピザも食べていいですよ」と言って去っていった。

「まったく危機じゃないじゃないですか。ピザとフライドチキンを兄ちゃんにもらっただけの話じゃないですか」

「とんでもない。恥ずかしすぎてもうこの場所では野宿できないとまで考えたよ。その兄ちゃんがまた公園に来て僕を見つけるかもしれない。僕の場合、行政や宗教を拒んでいるから落ちているピザを食べてしまうわけで。つまり、今後も同じことが起きる可能性があるということだから」

 そんなにシャイならもう意地を張らずに行政も宗教も拒まなければいいものを、「それだけはできない」と黒綿棒は頑なだ(NPOの炊き出しなどは普通に受けているが)。しかし、路上で生活する上で危機というのは、そう頻繁にあるものではないのかもしれない。

 暴風雨の中眠る気にもなれないので『失踪日記』を読んでいると、黒綿棒が「どうかしたら僕の漫画(『貧々福々ナズナさま!』)と交換とかしちゃう?」と言ってきた。結局、黒綿棒は深夜3時まで食い入るように『失踪日記』を読んでいた。

 自身のホームレス生活を記した作品を本当のホームレスに一晩で2周も読んでもらえるなんて、天国の吾妻先生も作家冥利に尽きるだろう。