不肖・宮嶋、カメラマン生活40年、大統領から犯罪者まで様々なVIPをとんでもないとこで撮影してきた。アメリカやロシアの大統領に中国共産党習近平総書記や北朝鮮の2代目、3代目独裁者からオウムの麻原彰晃まで追いかけ回してきた。しかし、その誰よりも撮影が困難とされていたのが創価学会の名誉会長、池田大作氏であった。なんちゅうても信者の前以外にはめったに出てこないことで知られ、不肖・宮嶋ですら過去4度しか撮影を試みることができなかった。

©宮嶋茂樹

「いいから撮らせてあげなさい」池田大作氏の“鶴の一声”

 最初に撮影したのは1990年、海外視察から帰国したばかりの成田空港であった。大勢の私設SPに囲まれた池田氏に同僚カメラマンとアポなしで突撃取材を試みるという、トラブル必至の現場であったが、その瞬間「いいから撮らせてあげなさい」とまさに名誉会長の鶴の一声でほんの数秒だが、真正面から撮影できた。しかしその後の17年間、幾度となく健康不安説や重病説が流れ、もはや死んでるのではないかとさえ噂が流れていたほどであった。

 そして17年後の2007年、中国の温家宝首相との会談に名誉会長は姿を現した。これが公の場に姿を現した最後といわれている。しかしいくら公の場というても、不肖・宮嶋ごときのバッタ・カメラマンが近づけるはずもない。なんちゅうてもかたや選挙前には時の「日本の首相」さえ頭を下げるとまで言われる創価学会名誉会長。こなた「宗教はアヘンだ」と公言したマルクスの言葉を忠実に実践し、ウイグルでイスラム教徒をチベットではダライ・ラマ率いる仏教徒を徹底的に弾圧し、博愛主義者のローマ教皇ですら、一度も訪れたことがない中国の首相である。

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©宮嶋茂樹

 それでも日中友好の美名のためか、こんな信じられん会談が東京で実現したのである。しかし、くどいようやが、そんな現場に招待状も持たぬ「神の力よりカネの力を信ずる」罰当たりな不肖・宮嶋が近づけるものであろうか。しかも創価学会はむろん、オウムから統一教会等宗教団体までスキャンダルを暴いてきた週刊文春の看板下げて。

 まわりは大新聞、大テレビ局に勤務する紳士淑女ばかりである。

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 しかし不肖・宮嶋日頃の「信心」がよほど良かったのか、警察、中国公安、信者プラス金属探知機まで突破して会談会場まで足を踏入れることができたのである。なんでかわからんが、会談開始予定時刻の30分前にもかかわらず、しれーっと待っていた待合室から報道陣が「急いで!」とせかされるように会談場まで案内されたのだった。