1990年代後半から2000年代前半にかけ、トップグラビアアイドルとして活躍した川村ひかるさん(44)。自身の夢であった一方、ストレスも多かったというグラビアの過酷な仕事、その後の体調不良などについて語った。(全3回の2回目/3回目に続く)

川村ひかるさん ©細田忠/文藝春秋

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『ウイニング競馬』に5年間レギュラー出演

――川村さんといえばグラビア以外に、2000年から5年間『ウイニング競馬』(テレビ東京)のキャスターを務めました。ファン層も変わりますし、あれは大きな変化だったのではないですか。

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川村ひかるさん(以下、川村) 大きかったですね。土曜日の『ウイニング競馬』を見ている方は、競馬が本当に好きなコアなファンの方が多いんですね。なので芸能界でも競馬が好きな大御所の方が番組を見てくださっていて、現場でご一緒すると「今度のレース何買うの?」って話しかけてくださって。志村けんさん、和田アキ子さんもそうでした。

 当時は短大に通っていたんですが、学生は馬券を買えないじゃないですか。馬券を買うと買わないでは、競馬に対する思い入れも違う。もっと競馬にハマりたいなと思って、短大を辞めてしまいました。でも5年間レギュラーで番組に出演させていただいたので、自分の中ではすごく大きな経験になりました。

 

週末は競馬かゴルフをやる“オヤジギャル”だった

――グラドル時代は月給20万円でしたが、さすがにその頃にはお給料は上がっていましたか。

川村 ありがたいことに上がってました。でも当時、お金を使う時間がなかったんですよ。今みたいにスマホ1つで買い物ができるわけでもないですし。なので仕事が終わって、友達とお茶を飲むか、バーに行ってお酒を飲むくらいしか、自分の時間がなかったです。

 お酒はすごい飲んでました。夜10時に仕事が終わって、翌朝の6時にお迎えに来ていただくまでが自分の時間でした。芸能以外の友達に会おうと思ったら2次会の時間帯で、みんな酔っ払ってるのでお酒を飲むしかなくて。

 常に鞄の中に「Gallop」(競馬専門の週刊誌)やスポーツ新聞が入ってましたし、あとゴルフもやってたんですよ。なので、週末は競馬かゴルフをやるっていう、昔で言う“オヤジギャル”でした。