海外旅行の行き先としても人気が高い「タイ」。だが、実際に「タイ人」とはどんな人々なのかを説明できる人は多くないだろう。タイに移住して20年が経つ髙田胤臣氏によると、“微笑みの国”から連想される温厚で他人にもやさしいというイメージとは異なる素顔がタイにはあるという。

 ここでは同氏の著書『だからタイはおもしろい 暮らしてわかったタイ人の「素の顔」』(光文社新書)の一部を抜粋。現地で生活を重ねて見えてきたタイ人の実像に迫る。

©AFLO

◆◆◆

ADVERTISEMENT

稼ぐことに対してよくも悪くもストレートなタイ人

 タイ人は日本人よりも稼ぐことに向きあっている。タイでは友人などに給料がいくらなのかを普通に聞く。相手の懐を探るというより、自分もできるだけいい給料のところに移りたいからだ。

 思うに、日本では若者間で自身のスキルに対する相場・価値水準が共有されていない。東南アジアでは若者同士の会話で、こういったスキルがあれば欧米企業はこれくらい、日系企業はこんな収入、韓国企業ならこうだと情報交換し、社会的に相場が存在している。自分の価値が数字で可視化され、自分に見あった給与を要求するし、その企業では実現しないとわかるやあっさり転職する。

 こういった相場観は経済格差がありすぎるゆえ、夢を語るよりも目の前の生活を優先せざるをえない結果として生じている。日本のように今がんばって来年の給料アップを狙うのではなく、今のスキルを今できるだけ高く買ってもらうことで、なんとか生き延びたいと考えるからだ。

金は国民の興味であり、話題にもなる

 タイには格差がありすぎて、同じ国に住んでいながら見えている景色が人それぞれまったく違う。富める者はなんでも自由で、貧しき者は日々の糧を得るだけでも必死だ。残酷なのは、日本や欧米なら貧しくても社会に貢献して尊敬される人はいるが、タイでは貧しければ社会的にも劣っているとみなされることだ。現金や資産がものをいい、人々はいつも金に振りまわされる。それがタイの日常である。

 生きるためには金がいる。どんな夢を語ろうが、突きつめれば富への憧れだ。日本人は夢を金銭に絡めて語ることがあまりない。経営者も「金がほしいから経営しているのです」とストレートにいわない。オリンピック選手やサッカーの代表選手は国から報奨金が出る。誰も無報酬で代表を務めるわけではない。日本と違い、タイはその金額がわりとオープンだ。好成績を収めれば国からいくら出て、一般企業から祝い金がいくらもらえる、と大会後はだいたい金額の話題になる。国民の興味であり、「活躍したのだからもらえてあたりまえ」という社会通念もあって、むしろスポーツ全体が盛りあがるきっかけにすらなる。