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 この数は東南アジアでもトップで、日本より少ないとはいえ十分にタイ人気質のイメージを変えてしまう数値であろう。これまでも衝動的に自殺するタイ人は少なくなかった。恋人とケンカをしただけで高層アパートから身を投げたり、ボクの知人にも夫との口論の末に首を括った人がいる。それに加えて、近年は金銭的なトラブルなどによる自殺もあとを絶たなくなってきた。

人の命が軽く見られがちなワケ

 金儲けに走るあまりに人間をないがしろにする人が増えていることも要因だが、タイ人の死生観はもともと日本人とは大きく違っている部分もある。タイは多民族国家で、最も多い民族はタイ族である(正確にはタイ・ノーイ族という)。このタイ族は墓を持たない。タイ族は葬儀がおわると火葬し、遺骨は散骨するか寺院に預けてしまう。墓参りの習慣もない。

 タイ族は仏教徒が多い。タイ人が寺院に行くのは、来世で極楽浄土に行く、あるいはまた人間界に生まれ変わることを望んでいるからだ。そのため、死んでしまったあとの肉体、すなわち魂の器は火葬したらおしまい。そんな捉え方なのではないか。このあたりの考え方が日本の仏教、あるいは日本人の一般的な死生観と違い、ともすれば死、すなわち人の命が軽く見られがちになるのではないかとボクは思う。

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©AFLO

血のつながった家族、親族を大切にする

 多民族という事情だけでなく地域性も関係し、タイではすべての人が共有するなにかが決定的に希薄なのも、死生観が違う一因だと思う。日本だとある程度の水準の教育が全土に普及しており、日本人にはだいたい共通した考え方や習慣がある。簡単にいえば、共有するバックグラウンド、バックボーンが存在する。タイの場合、北部にいる山岳少数民族はそれぞれが独立した集落に暮らすので、共有するものが希薄なのはわかる。ただほかの地域で、たとえば漢族として同じに見える中華系タイ人でも、広東省出身者、福建ルーツといった違いがある。バンコク都内でさえ地域によって公立校の教育水準すら大きな差がある国なので、民族間だけでなく個人間でも共有するものが少なく、バックに持つ常識がそれぞれ違うのは当然だ。そして、互いにわかりあえないので、人それぞれが自分の信条や感情に従い、タイ人は自分が一番大切という利己主義の傾向に入っていく。

 こういった背景が違う人々が円満に暮らすには、互いに干渉しないことが一番ではあるが、当然ながら人はひとりでは生きていけない。そんなとき、信頼できる人間関係の最小単位は家族になる。血のつながった家族、そして親族だ。タイ人は全般的に家族を大切にする。それには愛情もあるにしても、現実的にはこういった多民族国家ならではの事情もひとつにあるとボクは思う。特に経済規模の大きなビジネスを行う富裕層はその傾向が強い。