よくいえばタイ人は金に向きあっているし、格好つけることなく稼ぐことに正直で貪欲だ。その点はタイ人が日本人よりもずっと素直で純粋な部分である。
命ですらプライスレスではない
ただ、当然の帰結として、金銭に執着するあまりにないがしろになっているものも少なくない。顕著なのが人の命、あるいは尊厳だ。
緊急搬送された病人や負傷者は、病院に入る前の受付で保険かクレジットカードの有無をチェックされる。タイでは会社で働いていると社会保険に加入する。病院指定の保険証が発行され、その病院ではほぼ無料で治療を受けられる。国立病院ではこのカードがないとどんなに重症でも治療を拒否されるのだ。私立病院では民間保険かクレジットカード、現金の有無が確認され、なければ追い払われる。日本も無料で治療できるわけではないにしても、ひとまずは人命を優先するだろう。しかし、タイにその考え方はない。
タイ人の対外的なイメージは温厚で他人にもやさしい。一部事実ではあるものの、全般的には真逆といってもいい。タイの玄関口である空港からすでに詐欺師が跋扈し、タクシーのボッタクリも容赦ない。ホテルや観光施設周辺も悪い人ばかり。タイの評判が地に落ちようと、彼らは気にしない。外国人ならタイのことがわからないからと、セコい手段で詐欺を行うのは、タイ人の多くが敬虔な仏教徒だからこそ起こることだとボクは見ている。というのは、悪いことをしても寺に参拝すればチャラになると思っている節がタイ人にはあるからだ。休みの日に一所懸命、寺で手を合わせる悪者は少なくない。
権力者以外の国民の命は軽い
あるタイ人有名歌手が飲酒運転を繰り返し、案の定事故を起こして人を死なせてしまった。しかし、彼は賠償金を支払い、寺に出家して反省する様子を見せ、結局起訴すらされなかった。賠償金も数百万円といったレベルで、彼にとっては大した額ではない。遺族は低所得層だったので彼らとしては高額をもらえた、という絶妙なラインの額で解決してしまった。
近年はタイも不景気といわれ、宵越しの金を持たないタイ人もさすがに財布の紐を締めている。このあおりを真っ先に受けるのが寺院だ。そのためか、最近はタイの寺院も地に落ちたもので、向こうから布施や喜捨の要求をしてくるようになった。ボクが20バーツ札(紙幣の最小額面)を置こうものなら100バーツ札以上だと指定してくるほどだ。寺院も運営費用が必要なのはわかるが、僧侶がそれをいいだしたらおしまいだとボクは思ってしまう。