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「正しさの程度差」を冷静に考量する

――イスラエル・ハマス戦争をみても、それぞれの陣営の支持派でどちらに「正義」があるかをめぐって激しく世論が分断されていることをどうご覧になっていますか。

内田 どちらに「正義」があるかは原理的な議論です。原理的な議論には結論がありません。一方が100%悪で、他方が100%善であるというような戦争はこの世にはないからです。あるのは「正しさの程度差」だけです。

 でも、これは虚無的な意味で言っているのではありません。「正しさの程度差」を冷静に考量することでしか、暴力は抑制できないからです。

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 2014年にロシアがクリミアをロシア領に編入するときに、プーチン大統領はクリミアではロシア系住民が差別、迫害されているからロシアは人道的立場からこれに介入した、ロシア編入は住民投票の結果圧倒的な民意を得た上でなされたと主張しました。このときプーチンは「民族差別はあってはならない」と「民主的な手続きによる決定は重い」という国際社会が「文句をつけられない」大義名分を掲げました。

 2022年のウクライナ侵攻のときも、プーチンは名分を立てましたが、それはウクライナ政府は「ナチ化している」という妄想的な「物語」でした。残念ながら、この物語を信じるものは国際社会におりませんでした。

 

 2014年と2022年でロシアは「同じこと」をしたのに、国際社会のリアクションが違う。これは理不尽ではないかと言う人がいましたが、実際には「同じこと」をしたわけではありません。ロシアの「国際社会の常識を守るふりをする」努力において、この二つの軍事行動の間には、見落とすことのできない「程度の差」があったからです。それゆえ、国際社会はロシアを侵略者とみなし、ウクライナの国土防衛戦を国際法上合法的であるとみなした。「程度の差」はそれなりの実効性を持っているということです。

「自衛的暴力にも限度がある」という国際社会の常識

――たしかに同じ軍事行動に対しても、国際社会の反応はまったく異なるものでした。

内田 ハマスのテロによってイスラエル国民1400人が死にました。ですから、ガザ侵攻は自衛権の発動として当然だというのは「原理的には」正しい言い分です。でも、その「自衛権の行使」で、ガザでは非戦闘員である市民たちが1万3000人以上殺され、医療施設や教育施設や宗教施設など、軍事目標にしてはならない建物が爆撃されました。そうなるとこれは「自衛の過剰」ということになる。「自衛をすることは許されるが、自衛的暴力にも限度がある」というのもまた国際社会の常識です。ことは「限度を超えた」という程度の問題なのです。

――なるほど。