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「強硬派に対しても“境界線”を引かないほうがいい」イスラエル・ハマス戦争をめぐって内田樹が考える“暴力を制御する知恵”

2023/12/02

source : ライフスタイル出版

genre : ライフ, 読書, 社会

note

内田 どこにどんな「限度」があるのか、それはあらかじめ予示されているわけではありません。限度を超えた後になって、「限度を超えた」ということがわかる。限度はつねに事後的に開示されるものだからです。

 仮に、イスラエルの攻撃がハマスの軍事拠点だけに限定されており、イスラエルの兵士たちが非戦闘員の被害を最小限にとどめる努力をしていたら、国際世論はあるいはイスラエルに与したかも知れない。でも、そうはならなかった。「限定」し、「とどめる」努力を怠ったからです。

 正義はどちらかの陣営にあらかじめビルトインされているわけではありません。どちらにも戦う大義名分があります。でも、「限度を超えた」側は「正義を主張する権利が目減りする」。それだけのことです。

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強硬派との間に「境界線」を引かないほうがいい理由

――哲学者ジジェクは、「ハマスとイスラエルの強硬派はコインの裏表だ。私たちは、境界線をハマスとイスラエルの強硬派の間に引くのではなく、二つの極端な勢力と平和な共存の可能性を信じる人たちの間に引かなければならない」と指摘しています。この点についてはどう思われますか。

内田 ジジェクが言いたいことはよくわかります。でも、「境界線」という言葉を僕なら使いません。そういう言葉を使うことでより効果的に暴力が抑制されるとは思わないからです。「平和な共存の可能性を信じる人」も自分の家族や友人が殺されたら、信念が揺らぐかもしれないし、「戦いでしか未来は実現しない」と信じる人もあまりに多くの流血を見た後には戦うことの虚しさを感じるかもしれない。

 

 僕の若い友人である永井陽右君はソマリアでゲリラからの投降兵士の社会復帰を支援するという活動をしています。少年兵としてリクルートされて、戦い続けてきたゲリラ兵士たちが「戦うことにうんざりして」市民生活に戻りたいと思う気持ちに応えるという仕事です。永井君たちの努力は「境界線」を「越境可能」な状態にすることに向けられています。これは果てしない暴力の中で疲弊しきったソマリアが最後にたどりついたひとつの実践的結論だろうと僕は思います。

 敵味方の「境界線」を固定化しないこと。境界線があると、原理主義者はそれを超えることができない。原理主義者に「スティグマ」を刻印してはいけない。「極端な人」を「ふつうの人」の陣営に回収する努力を「ふつうの人」たちは止めるべきではない。

――先の大戦の教訓を活かせず、人類はなぜ「ジェノサイド」を止められなかったのでしょうか。